ナマケモノ・なまけもの・怠け者の健康術

ナマケモノ・なまけもの・怠け者の私が続けています。 こころのこと、からだのこと、そして呼吸のこと。 薬に頼らず健康になる。 身体の歪みは自分で直そう。 姿勢術−姿勢がことのほか重要です。 合気

ストロークの質を高める

第257回 人間関係とストローク自主研究会
テーマ「ストロークの質をさらに高めるためのワークショプ」

このストロークというのは交流分析の用語で、人が人に対して何かしらのエネルギーを発信することをいっています。

日本の文化は間の文化、中国の文化は気の文化だという。
気というのは形がないが働きがある。

例えば空気、見えないが動けば風になり台風や竜巻にもなる。
電気もそうだ、見えないけれどモータを動かす。

間というのは時間的・空間的・心理的な隔たりをいおう。
時々刻々動いて一定ではない。

人間関係はコミュニケーションによる。
それはストロークであり気である。

気が機能したとき仁間という。
日本語には「床の間・間違い・間延び・間抜け」などのことばがある。

それはキリスト教的な愛、仏教的には慈悲であり、相手の人格を認めて押しつけるものではまい。

親子の間でも
間を詰めすぎると多汗症になり
間を開けすぎると放置になる。

現代は父親の愛がない時代で突き放しがない時代である。

自主独立をうながすのが指導であり、しがみつかせることではない。
だが多くの場合その辺のこと錯覚されて逆になってしまっている。

最初のワークはあまり知らない同士が二人宛、組みになってお互いに話し合う。
そして何でもいいから、気づいたことを書き出す。
書き出したら、それを更にストロークを高める表現に変える。

次のワーク
自分の近しい人、親・兄弟等について気になっていることを書き出す。
書き出せない人は怒りの抑圧があるのだという。

だれでも怒りを抑え込んでいる。
意識する・意識しないに係わらず親の思い通りの人間になっている。
100%そうだと講師はいう。

書き出した対象の人も、親によって形作られた自分を懸命生きた結果と思ってみてはいかがでしょうか?
そう思うことで抑圧された怒りも消えていくかもしれません。






足半を作る会

長年の持病である座骨神経痛がひどくなって杖をついてやっと歩いていた姉が、足半を履いた途端スタスタ歩いたという話を書いた。

筆者も家のなかで履いているが、特に痛いところがなく姉のような劇的な体験はない。
今年の二月頃左股関節に激痛が発生したときならば、おおっ、凄いと思ったかもしれない。

立ち上がってもすぐに歩き始めることができなかった。
一呼吸置いて第一歩を踏み出す始末だった。
それも踵落としや脚の前面はさみで解決した。

スタスタ歩き始めた姉をみて、足半に対しての認識が一変した。
そういうときに音楽家講座番外編「足半(あしなか)を作る会」があることをしって先日出席した。

主催者はフルート専門の小柄な女性である。
音楽の世界では有名な方らしい。
30人くらい方が集まった。

案内文に「足半を履いて過ごすことで、日常の身体が変化し、パフォーマンスにも大きな変化があります。
個人差はあると思いますが、私の場合は5目に足指の付け根(MP関節)がよりほぐれ、これに付随してか身体の全ての関節もよりスムーズに動く様になり、日常の呼吸もより深くなりました」とある。

実際にフルートやピアノを足半のbefore/afterで聴かせてくれた。
確かに音色がやわらかくつやがあるというのか変化した。

同席の鼓のかたの場合も同じように音色が変化した。
身体のゆがみがとれて呼吸が楽になれば、当然の話である。

それにしても音楽業界に足半が広まっているとは驚きだった。
主催者の女性は、正式の演奏会でも足半を履いて由。
ロングスカートならば大丈夫よと仰った。




腰が重い

筆者は第5腰椎がいつも凹んでいる。
意識してそこを後に突き出すようにすると指で確認出来る。

これまでギックリ腰や腰痛を何回もやっている。
そういうときに病院に行けば腰椎すべり症といわれると思われる。

いまでも偶に違和感が出てくる。

先日、「腰を反らせちゃいけないですよ」といわれた。
筆者はズーッとそう思ってきたが人からいわれたことははじめてだし、書かれたものもあまりない。
まれに反らしすぎ腰痛の原因になると書いたものはあった。

筆者の腰の反りはずいぶん調整されてきてはいる。
だがいまひとつ、納得していないのはこの第5腰椎の所為らしい。

緊張すれば腰が反るし、腰が反れば緊張するという条件反射みたいなものが根強く残っている。

力み緊張が抜けてくるにしたがい、身体の感覚が目覚めてくる。
それは上の方から下へと拡がっていくのだが、しかし時間が掛かる。

礼法教室で膝行、この日は上体が真っ直ぐでやりやすかった。
これまで前傾しすぎて身体が重く、何故こんなに重いのかわからなかった。

初期のころの方が遙かにマシだった。
それが途中から変わって何年も重くして動いていた。
なんで気がつかないのか我ながら鈍すぎるとあきれている。




高血圧

10数年前、筆者も血圧が高くてフラフラしていた時があった。
下が90以上、上は160以上で、下が95を越えてくるとフラフラしていた。

高血圧というのは90/140以上とされている。
この定義によると男性は50才以上、女性は60才以上の半数が高血圧となるそうである。

高血圧の定義も問題があるのかもしれない。
高血圧になる原因いろいろあると思うが血圧も結果であって、血圧を上げなければならない原因があるのに単純に降圧剤で下げるというのは?ハテナとと思います。

下の血圧が高い人は、腎臓がからんでいるとか、筆者も腎が弱いので下が高かったのかもしれない。

血圧が高い人の多くは、後頭部と首の付け根部が堅く緊張している人が多いらしい。
筆者もそうだった。

頭部への血流が悪いために、心臓がムリをして血圧を上げて、頭部への血流の悪化を防ごうとしていると考えられる。
薬で血圧を下げたら、頭部への血流が不足し脳梗塞を起こすこともあるだろう。

骨や筋肉といった運動系組織は同時に内臓・血管・等の収容器であります。
この収容器が固くなれば、当然ながら血流が阻害され心臓がムリをして血圧が高くなるでしょう。

原因の判らない高血圧というのはこの運動系組織の硬化に由来するものと考えます。
そう考えると寝際のゆっくり呼吸が一番のお勧めになります。

次いで「首筋をゆるめる」です。

直立二足歩行をはじめたのは?

「440万年前の人類の全身骨格発見」先月の新聞記事でである。
全身骨格で樹上から地上生活の場を移す中間段階にあり、脳容量はチンパンジーなみの300cc余りだった。

骨盤上部の構造からは、現生人類と同じように身体がS字カーブを描き、直立二足歩行をしていたと推定されるが、骨盤下部は木登りに向く構造。

樹上生活の名残で指で枝を掴んで木々移動する能力があり、踏まずのアーチがなく、長距離の歩行はまだ苦手だったらしい。
他の動植物の化石も収集し森林に住んでいたとする。

では何故、樹上から降りたのか?
何故二足歩行を始めたのか?
その辺の答えは見つかっていない。

部分的な化石では700万年前の頭骨が既に発見されている。
「脳の大型化こそ人類進化の原動力」とされてきた。

だが相次ぐ化石の発見によりまず二足歩行が進化し、脳の大型化後で進んだことを明らかにする。
現代の人間は後発の脳に振り回されて、身体の言い分に耳を傾けなくなっているやに見える。

上記の日記に対してコメントを寄せて下さった方がいる。

「>では何故、樹上から降りたのか?
>何故二足歩行を始めたのか?
>その辺の答えは見つかっていない。

TRYするのが人間だからだと思います。
おもしろそうだから、やってみたのだと思います。」

少し弱いと思ったが、案外当たっているかもしれない。

子猫だってボールを相手に遊ぶし、ライオンの子供だって兄弟で組み合ったりして遊ぶ。
小さな子供が一輪車をうまく乗り回しているのを見たことがある。

まあ、脳みそが多くなった分、退屈を嫌うのは動物のなかでは人間がダントツだろう。

それ故にいろんなゲームを考え出してきている。
さまざまな球技にしろ、詩や短歌・俳句、碁や将棋等々。

樹上と地上の生活をやっていた当時の人類にとって、直立二足歩行はそれほど苦にはならなかったと思われる。

樹上で両手のみ身体を支える、あるいは両足のみ身体を支える訓練は積んでいただろう。
人間が直立二足歩行を始めた理由についてはいまだ定説がない。

上記の440万年前の骨格は女性であり、女性に対してプレゼント等を捧げて婚活のために直立2足歩行をはじめたという論文まで発表されているとか。

天変地変により草原での生活を余儀なくされた人間が虎やライオンなどの肉食獣から生き延びるために直立し、二足歩行を始めたというのは説得力がある。

マサイ族は視力が5,0は当たり前とか。
説得力はあるものの、地上と樹上の二重生活となると?マークがつく。
あるいは両方の理由が補完し合うのかもしれない。

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