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光格帝の殿上人の装束を召給う事
『思ひの儘の記』より光格帝の御事、御所の不思議なる事ども
○或年の節会の日に、白髪の老人が殿上人の装束にて、殿上のあたりを徘徊ありしに、若き殿上人などは、誰ならむ見ず知らぬ人なりと思ひしに、光格上皇の、節会の様を御覧の為に御幸ありて、臣下の衣服に召変られ、清涼殿の辺を御ありきありしとぞ。
○嘉永七年に内裏焼亡の時、清涼殿の獅子狛犬を、五位の殿上人たる人、一条家へ預に来る。後日其人を尋ぬるに、携帯せる人ある事なし。此獅子狛犬は、数百年を経たる古物也。其霊の致すなりと、一時の奇談とせり。
○慶応二年に皇居丑寅の隅の凹たる所を拡られん為に、飛鳥井邸地の西の方削られたり。飛鳥井門前右の隅を猿ヶ辻といへり。其処は雨夜などは化物出るとて、平民などは避て通らざるなり。往々狐狸の害する事を聞けり。然るに此五月頃の事にや、猿ヶ辻の古狐のいふやう、此度御普請につき、今は住べき所もなくなりたり。願くは妙顕寺の寺内に社殿を建て鎮座し給はゞ、天下安穏宝祚長久を守るべしと、帝の御夢に来り告るを御覧ありしよしにて、建築料金百円外に年々米十石づゝ下さるゝ事になりしよし、奇怪の事ながら、其事を山科中納言言成の記に載たり。先頃此御造営の小屋焼失せし事あり。是も狐の所為といへり。
○花山院家は数百年火災に逢ざる家也。天明八年の大火に四隣悉く焼失せしに、花山院のみ残れり。其寝殿の屋根に烏帽子を冠り黄なる浄衣を着たるもの数人上りて火を禦ぎたりと、庭中に稲荷社ありて狐の守護したりとぞ云伝へり。
本文は『日本随筆大成』に拠りて抄出せるもの
○或年の節会の日に、白髪の老人が殿上人の装束にて、殿上のあたりを徘徊ありしに、若き殿上人などは、誰ならむ見ず知らぬ人なりと思ひしに、光格上皇の、節会の様を御覧の為に御幸ありて、臣下の衣服に召変られ、清涼殿の辺を御ありきありしとぞ。
○嘉永七年に内裏焼亡の時、清涼殿の獅子狛犬を、五位の殿上人たる人、一条家へ預に来る。後日其人を尋ぬるに、携帯せる人ある事なし。此獅子狛犬は、数百年を経たる古物也。其霊の致すなりと、一時の奇談とせり。
○慶応二年に皇居丑寅の隅の凹たる所を拡られん為に、飛鳥井邸地の西の方削られたり。飛鳥井門前右の隅を猿ヶ辻といへり。其処は雨夜などは化物出るとて、平民などは避て通らざるなり。往々狐狸の害する事を聞けり。然るに此五月頃の事にや、猿ヶ辻の古狐のいふやう、此度御普請につき、今は住べき所もなくなりたり。願くは妙顕寺の寺内に社殿を建て鎮座し給はゞ、天下安穏宝祚長久を守るべしと、帝の御夢に来り告るを御覧ありしよしにて、建築料金百円外に年々米十石づゝ下さるゝ事になりしよし、奇怪の事ながら、其事を山科中納言言成の記に載たり。先頃此御造営の小屋焼失せし事あり。是も狐の所為といへり。
○花山院家は数百年火災に逢ざる家也。天明八年の大火に四隣悉く焼失せしに、花山院のみ残れり。其寝殿の屋根に烏帽子を冠り黄なる浄衣を着たるもの数人上りて火を禦ぎたりと、庭中に稲荷社ありて狐の守護したりとぞ云伝へり。
本文は『日本随筆大成』に拠りて抄出せるもの
平成二十一年秋の叙勲について
今年も菊薫る文化の日(明治節)となりました。
文化勲章の親授式の日、そして「秋の叙勲」の発令日です。
大綬章級の「旭日大綬章」は、臼井日出男元法相ら11人に、「瑞宝大綬章」は、斉藤邦彦元駐米大使に授けられました。
また井関英男元皇太后宮大夫は「瑞宝重光章」を受章されました。
この度、叙勲の栄を受けられた皆様に、心よりお祝い申し上げます。
文化勲章の親授式の日、そして「秋の叙勲」の発令日です。
大綬章級の「旭日大綬章」は、臼井日出男元法相ら11人に、「瑞宝大綬章」は、斉藤邦彦元駐米大使に授けられました。
また井関英男元皇太后宮大夫は「瑞宝重光章」を受章されました。
この度、叙勲の栄を受けられた皆様に、心よりお祝い申し上げます。
兼という字、本官と兼官
かって「行という字、守という字」という記事において位署書について少し触れましたが、今回はそれを少し掘り下げてみようと思います。
使えそうな史料が手元にないので、同じく古の記事「高家の特権」に書いた幕末の高家一覧表を利用します。
畠山義勇 従五位下侍従兼飛騨守
→「侍従従五位下兼行飛騨守源朝臣義勇」
侍従=従五位下相当・飛騨守=従六位下相当なので侍従が官位相当となり本官として扱われます。(実際には官位相当の高低を問わずとも外官(国司)は必ず兼官として扱われます)官位相当なので官(侍従)・位(従五位下)の順で記します。次いで兼官がある場合は「兼」・官となるのですが、飛騨守は官位不相当で卑官に当たるため前に「行」を入れます。
土岐頼義 従五位下侍従兼左京大夫
→「侍従従五位下兼守左京大夫源朝臣頼義」
左京大夫=従四位下相当なので高官に当たるため前に「守」を入れます。
前田長猷 従五位下侍従兼大蔵大輔
→「侍従従五位下兼守大蔵大輔菅原朝臣長猷」
大蔵大輔=正五位下相当なので土岐侍従と同じです。
織田信愛 従五位下侍従兼対馬守
→「侍従従五位下兼行対馬守平朝臣信愛」
対馬守=従六位下相当なので畠山侍従と同じです。
宮原義直 従四位上侍従兼摂津守
→「従四位上行侍従兼摂津守源朝臣義直」
摂津守=従五位下相当なので両官とも官位不相当となり、位・官の順で記します。前述の通り外官は必ず兼官となるので侍従を本官としますが、ともに卑官なので「行」は兼官の前に書く必要はありません。
横瀬貞篤 従五位下侍従兼大炊頭
→「侍従兼大炊頭従五位下源朝臣貞篤」
大炊頭=従五位下相当なので両官とも官位相当となり、本官・「兼」・々官・位の順で記します。ともに京官の場合は「官位令」に先に出てくる方を本官とします。お手元の養老令をご覧ください(オイ)
横瀬貞固 従四位上侍従兼筑前守
→「従四位上行侍従兼筑前守源朝臣貞固」
筑前守=従五位下相当なので宮原侍従と同じです。
宮原義路 従五位下侍従兼弾正大弼
→「侍従従五位下兼守弾正大弼源朝臣義路」
弾正大弼=従四位下相当なので土岐侍従と同じです。
京極高福 従五位下侍従兼丹後守
→「侍従従五位下兼行丹後守源朝臣高福」
丹後守=正六位下相当なので畠山侍従と同じです。
今川範叙 従五位下侍従兼刑部大輔
→「侍従従五位下兼守刑部大輔源朝臣範叙」
刑部大輔=正五位下相当なので土岐侍従と同じです。
大沢基寿 従四位下侍従兼右京大夫
→「右京大夫従四位下兼行侍従藤原朝臣基寿」
右京大夫=従四位下相当なので同官が官位相当となり本官として扱われます。
品川氏恒 従五位下侍従兼式部大輔
→「侍従従五位下兼守式部大輔源朝臣氏恒」
式部大輔=正五位下相当なので土岐侍従と同じです。
由良貞時 従五位下侍従兼信濃守
→「侍従兼信濃守従五位下源朝臣貞時」
信濃守=従五位下相当なので横瀬新侍従と同じです。
武田崇信 従五位下侍従兼大膳大夫
→「侍従従五位下兼守大膳大夫源朝臣崇信」
大膳大夫=従四位下なので土岐侍従と同じです。
高家の極官は少将ですが、幕末には少将まで進んだ方が丁度おられなかったので、例えが偏ってしまいましたがご勘弁!
使えそうな史料が手元にないので、同じく古の記事「高家の特権」に書いた幕末の高家一覧表を利用します。
畠山義勇 従五位下侍従兼飛騨守
→「侍従従五位下兼行飛騨守源朝臣義勇」
侍従=従五位下相当・飛騨守=従六位下相当なので侍従が官位相当となり本官として扱われます。(実際には官位相当の高低を問わずとも外官(国司)は必ず兼官として扱われます)官位相当なので官(侍従)・位(従五位下)の順で記します。次いで兼官がある場合は「兼」・官となるのですが、飛騨守は官位不相当で卑官に当たるため前に「行」を入れます。
土岐頼義 従五位下侍従兼左京大夫
→「侍従従五位下兼守左京大夫源朝臣頼義」
左京大夫=従四位下相当なので高官に当たるため前に「守」を入れます。
前田長猷 従五位下侍従兼大蔵大輔
→「侍従従五位下兼守大蔵大輔菅原朝臣長猷」
大蔵大輔=正五位下相当なので土岐侍従と同じです。
織田信愛 従五位下侍従兼対馬守
→「侍従従五位下兼行対馬守平朝臣信愛」
対馬守=従六位下相当なので畠山侍従と同じです。
宮原義直 従四位上侍従兼摂津守
→「従四位上行侍従兼摂津守源朝臣義直」
摂津守=従五位下相当なので両官とも官位不相当となり、位・官の順で記します。前述の通り外官は必ず兼官となるので侍従を本官としますが、ともに卑官なので「行」は兼官の前に書く必要はありません。
横瀬貞篤 従五位下侍従兼大炊頭
→「侍従兼大炊頭従五位下源朝臣貞篤」
大炊頭=従五位下相当なので両官とも官位相当となり、本官・「兼」・々官・位の順で記します。ともに京官の場合は「官位令」に先に出てくる方を本官とします。お手元の養老令をご覧ください(オイ)
横瀬貞固 従四位上侍従兼筑前守
→「従四位上行侍従兼筑前守源朝臣貞固」
筑前守=従五位下相当なので宮原侍従と同じです。
宮原義路 従五位下侍従兼弾正大弼
→「侍従従五位下兼守弾正大弼源朝臣義路」
弾正大弼=従四位下相当なので土岐侍従と同じです。
京極高福 従五位下侍従兼丹後守
→「侍従従五位下兼行丹後守源朝臣高福」
丹後守=正六位下相当なので畠山侍従と同じです。
今川範叙 従五位下侍従兼刑部大輔
→「侍従従五位下兼守刑部大輔源朝臣範叙」
刑部大輔=正五位下相当なので土岐侍従と同じです。
大沢基寿 従四位下侍従兼右京大夫
→「右京大夫従四位下兼行侍従藤原朝臣基寿」
右京大夫=従四位下相当なので同官が官位相当となり本官として扱われます。
品川氏恒 従五位下侍従兼式部大輔
→「侍従従五位下兼守式部大輔源朝臣氏恒」
式部大輔=正五位下相当なので土岐侍従と同じです。
由良貞時 従五位下侍従兼信濃守
→「侍従兼信濃守従五位下源朝臣貞時」
信濃守=従五位下相当なので横瀬新侍従と同じです。
武田崇信 従五位下侍従兼大膳大夫
→「侍従従五位下兼守大膳大夫源朝臣崇信」
大膳大夫=従四位下なので土岐侍従と同じです。
高家の極官は少将ですが、幕末には少将まで進んだ方が丁度おられなかったので、例えが偏ってしまいましたがご勘弁!
神無月二十六日の出来事
常のことですが取り留めもなく
○
気が付けばウェブ拍手の合計が七百を超えていました。わざわざクリックしてくださった皆様に厚く御礼申し上げます。
○
昨日調べものをしていたところ、奇しくも勝山藩の用人「鳩山十右衛門」の名を発見。丁度明治元年の史料で、現時点で子孫から二人の宰相、二人の大臣を輩出したルーツを見ました。
○
明治九年十月、華族阿部家より先祖以来誤って(って凄いな)藤原姓を称していたので、本来の阿部姓に復したいとの願いが出され、翌年一月に許されています。あれ、阿部家の中でも阿部姓で位記宣旨の発行を受けていた方もいたよなあ、というつっこみは置いておいて・・・。同時期に編纂されていた華族類別録に関連した動きであることは想像が付きます。源姓→田口姓の牧野家、藤原姓→有道姓の本荘家なども同じような動きでしょう。
○
ここに書くべきか・・・四年以上前の記事ですが「もしも公卿補任に載せられたなら〜」の参議の項目に、徳島藩主の蜂須賀斉裕を漏らしていました(滝汗)蜂須賀斉裕の参議叙任は元治元年四月十八日です。仙台藩主の伊達慶邦と福岡藩主の黒田斉溥も同日叙任ですが、史料によってかなり異同があるので注意が必要です。
○
幕末に於ける将軍家先祖への贈位贈官に関する走り書き
・嘉永元年十月十九日
贈正一位太政大臣 源(松平)広忠 「成烈院」・(贈従二位権大納言)
・嘉永三年十月二十九日
贈従一位 藤原(水野)大子 伝通院・松平広忠正室
贈従二位 源(新田)義重 (贈鎮守府将軍)
・慶応二年七月二日
贈従一位 藤原(戸田)真喜子 天芳院・松平広忠継室
今日、左手の人差し指がチクチク痛んだので目をやると、なんと指に髪の毛が刺さっていました。抜く時痛かった〜。果たして吉兆か凶兆か(苦笑)
○
気が付けばウェブ拍手の合計が七百を超えていました。わざわざクリックしてくださった皆様に厚く御礼申し上げます。
○
昨日調べものをしていたところ、奇しくも勝山藩の用人「鳩山十右衛門」の名を発見。丁度明治元年の史料で、現時点で子孫から二人の宰相、二人の大臣を輩出したルーツを見ました。
○
明治九年十月、華族阿部家より先祖以来誤って(って凄いな)藤原姓を称していたので、本来の阿部姓に復したいとの願いが出され、翌年一月に許されています。あれ、阿部家の中でも阿部姓で位記宣旨の発行を受けていた方もいたよなあ、というつっこみは置いておいて・・・。同時期に編纂されていた華族類別録に関連した動きであることは想像が付きます。源姓→田口姓の牧野家、藤原姓→有道姓の本荘家なども同じような動きでしょう。
○
ここに書くべきか・・・四年以上前の記事ですが「もしも公卿補任に載せられたなら〜」の参議の項目に、徳島藩主の蜂須賀斉裕を漏らしていました(滝汗)蜂須賀斉裕の参議叙任は元治元年四月十八日です。仙台藩主の伊達慶邦と福岡藩主の黒田斉溥も同日叙任ですが、史料によってかなり異同があるので注意が必要です。
○
幕末に於ける将軍家先祖への贈位贈官に関する走り書き
・嘉永元年十月十九日
贈正一位太政大臣 源(松平)広忠 「成烈院」・(贈従二位権大納言)
・嘉永三年十月二十九日
贈従一位 藤原(水野)大子 伝通院・松平広忠正室
贈従二位 源(新田)義重 (贈鎮守府将軍)
・慶応二年七月二日
贈従一位 藤原(戸田)真喜子 天芳院・松平広忠継室
今日、左手の人差し指がチクチク痛んだので目をやると、なんと指に髪の毛が刺さっていました。抜く時痛かった〜。果たして吉兆か凶兆か(苦笑)
神無月二十四日の出来事
・近衛忠大様に第三子ご誕生の由。お慶び申し上げます。
・得浄明院住職の伏見誓寛さんが三時知恩寺門跡にご就任。
・橿原神宮宮司の飛鳥井雅慶さんが奈良県神社庁長に就任。
・若田光一さんの帰還に関する報道で、ステファニー夫人がインタビューを受けておられました。Saxe-Altenburg
・全国敬神婦人連合会会長の久邇正子さんがご退任。後任には北白川慶子さんがご就任。
・柳沢保徳前奈良教育大学長が帝塚山学園長に就任。
・大ナポレオン展に行って来ました。セントヘレナ島の絵が綺麗でした(オイ)帰りにドラローシュの「フォンテーヌブローでのナポレオン」の絵葉書を購入しました(オイオイ)
(続く)
・得浄明院住職の伏見誓寛さんが三時知恩寺門跡にご就任。
・橿原神宮宮司の飛鳥井雅慶さんが奈良県神社庁長に就任。
・若田光一さんの帰還に関する報道で、ステファニー夫人がインタビューを受けておられました。Saxe-Altenburg
・全国敬神婦人連合会会長の久邇正子さんがご退任。後任には北白川慶子さんがご就任。
・柳沢保徳前奈良教育大学長が帝塚山学園長に就任。
・大ナポレオン展に行って来ました。セントヘレナ島の絵が綺麗でした(オイ)帰りにドラローシュの「フォンテーヌブローでのナポレオン」の絵葉書を購入しました(オイオイ)
(続く)
奉祝 地久節
〔地久節〕
本日は地久節です。
皇后陛下には、七十五歳の御誕生日を迎えられました。
記念の年のこの佳き日を謹んで言祝ぎ奉り、御足の御平癒を祈念申し上げます。
本日は地久節です。
皇后陛下には、七十五歳の御誕生日を迎えられました。
記念の年のこの佳き日を謹んで言祝ぎ奉り、御足の御平癒を祈念申し上げます。
訃報 原口幸市さん
原口幸市さんが四日死去されました。
享年68歳。
原口幸市さんは、宮内庁式部官長。
日朝国交正常化交渉担当大使などを歴任されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
享年68歳。
原口幸市さんは、宮内庁式部官長。
日朝国交正常化交渉担当大使などを歴任されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
訃報 東伏見保子さん(元伯爵夫人)
東伏見保子さんが二十九日死去されました。
享年91歳。
東伏見保子さんは、亀井茲常伯爵の次女。
香淳皇后の弟、東伏見慈洽青蓮院名誉門主の夫人。
東伏見慈晃青蓮院門主の母。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
享年91歳。
東伏見保子さんは、亀井茲常伯爵の次女。
香淳皇后の弟、東伏見慈洽青蓮院名誉門主の夫人。
東伏見慈晃青蓮院門主の母。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
訃報 石川忠さん
石川忠さんが十二日死去されました。
享年101歳。
石川忠さんは、元宮内庁京都事務所長。
葵祭の復興に尽力されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
享年101歳。
石川忠さんは、元宮内庁京都事務所長。
葵祭の復興に尽力されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
訃報 児玉久雄さん
児玉久雄さんが十一日死去されました。
享年86歳。
児玉久雄さんは、陸軍大将で参謀総長などを歴任した児玉源太郎子爵の孫。
英文学者で学習院大学名誉教授。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
享年86歳。
児玉久雄さんは、陸軍大将で参謀総長などを歴任した児玉源太郎子爵の孫。
英文学者で学習院大学名誉教授。
謹んでご冥福をお祈りいたします。



