2009.11.23
「なくもんか」@銀座。
●デフレ突入でも、クリスマスはやってくる。
●株価も為替もデストロイな数字でブルー。マジかよ景気の二番底。それでも銀座はキラキラ輝いていて。

●銀座六丁目の交差点に、アメリカの人気アパレル「アバクロンビー&フィッチ」のお店ができるらしい。チョコレート色の立派な建物の前を通ったら、アメリカンな香水の匂いがぷーん。
●でさ、先週は映画を観た。久しぶりに。

●主演:阿部サダヲ「なくもんか」
●同僚がこの映画を観たって会議で言ってたもんで。オモシロかった?「バカバカしいホームコメディだと思ってたんだけど、やっぱクドカンだよね……伏線がうまく張り巡らされてて、サイゴにうまくオトし込まれるのよ…」へー。「そうそう、タダ券あるんよ、オマエ観る?」観ます観ます!で、銀座の映画館に行ったわけ。
●そりゃもう騒がしいスラップスティックですよ。テンポ速いですよ。サダヲさんは過剰にテンション高いし、竹内結子は乱暴だし、暎太&塚本高史はガラにもなくお笑い芸人として漫才してる。でもさ、タイトルが「なくもんか」なんですよ。翻すと、我慢しないと泣けちゃうんですよ。この物語は、壊れたカゾクが壊れたナリにそのカタチを再生させるための七転八倒なアガキを描いてます。見苦しいけど、必死なんです。
●ビミョーに毒が仕込まれてます。スラップスティックにかき消されてますけど。無視も出来るけど、なめるとニガ甘い毒。売れない芸人だった暎太を、コンビ結成に誘う塚本、立ち飲み屋でお笑いの持論をブツ。「お笑いにはな、7つの原則があるんだよ……で、七つ目はな「不幸」だ…。だって、不幸って笑えるじゃん」そんなドキッとするフレーズが仕込まれてます。
●我がカゾクは、チカラの限りにドングリ拾い。

●近所の公園で目一杯ドングリを拾って帰ってきたノマドとヒヨコ。やめりゃイイのに、この収穫を数え出した。「イチ、ニ、サン、シ………」しかし半端な量じゃない。「102、103、104……」最終的に何個だったと思います?ボクのトコにノマドは報告にやってきた。「ゼンブで、1056コあった……もうツカレタ…」クタクタになったノマド、そのままボクのベッドでバッタリ眠り込んでしまった。4ケタの世界はヤツの限界を超えてたみたい。
●BGMは、なんとなく MARY J. BLIGE。

●MARY J. BLIGE「REFLECTIONS (A RETROSPECTIVE)」1992〜2006年
●ヒップホップソウルの女王のベスト盤(4つの新曲を含む)。…彼女の左目の下に、涙のアトみたいなキズ?シミ?があるって初めて知った。今まで加工して隠してたでしょ。
●U2 の名曲「ONE」を彼のバンドとコラボしたのが聴きたかったのです。MARY 版「ONE」は U2 版と趣が大分違って、まるでゴスペルのように雄々しく神々しく響くのです。
●U2 版は人間が業として背負う孤独の側面が強く響く。「WE'RE ONE, BUT WE'RE NOT THE SAME. WE GOT TO CARRY EACH OTHER, CARRY EACH OTHER, ONE...」この辺の歌詞ね。「ボクらは一つだ…しかし、同じではない。それぞれがそれぞれの重荷を背負っていかなくてはならない…ワン…」
●でも MARY 版で一番響くのがココ。「YOU SAY LOVE IS TEMPLE, LOVE IS A HIGHER LOW. LOVE IS TEMPLE, LOVE IS A HIGHER LOW. YOU ASK ME TO ENTER, BUT THEN YOU MAKE ME CRAWL. I CAN'T BE HOLDING ON TO WHAT YOU GOT, WHEN ALL YOU GOT IS HURT... 」ココがなんかゴスペルっぽくて。「アナタは言う、愛こそ神殿、愛こそ至上の法…愛こそ神殿、愛こそ至上の法…アナタはアタシにコチラへ来いと言うが、アタシは床を這いずり回らなくちゃならない。そうすれば、アタシはアナタのモノを抱きしめていられない。アナタのモノを全て傷つけてしまう」アナタを神様に置き換えると、なんか気分だよ。
●MARY のキャリアにはイイ曲がイッパイあるなあ。アルバムはたしかほとんど持ってるはずなんだけど、久しぶりに古いヤツを引っ張り出して聴いてみたくなった。
●連休のコドモたちはカードゲーム「バトスピ」に夢中。
●またしてもカードのハコ買いをしました長男ノマド。今回ゲットしたのは第6シリーズ「爆神」。…オマエこのカードに書いてある漢字を全部覚えたらカナリ頭よくなれる気がするよ。

●朝っぱらから、カードの分類をしてその能力を研究するノマド。エックスレアカードだってゲットしたらしい。娘ヒヨコはカードの強さじゃなくて、イラストのかわいさが大切。

●左がキラキラのエックスレア「天帝ホウオウガ」。キラキラすぎて上手くスキャン出来なかったよ。コレが新しいノマドの切り札。一方ヒヨコの一番のお気に入りが右の一枚。なに?「メェ〜ポン」って?カワイいけどスッゴく弱い。でもヒヨコ的にはスッゴくカワイい。
●エビちゃんと ILMARI が結婚?!
(交際7ヶ月でゴールインだそうだ。相手がお笑いじゃなくてよかった。)
●スポニチのネットニュースに載ってたよん。「海老蔵の次はエビちゃん!「エビちゃん」の愛称で人気のモデル蛯原友里(30)と人気ヒップホップグループ「RIP SLYME」の ILMARI(イルマリ、34)が来春までに結婚することが20日、分かった。」へー、それはおめでたいことで。だってイルマリ実際カッコいいもん!こりゃしょうがないや。
●でさ、コレをキッカケにまた日本のヒップホップの歴史へとハナシをワープさせてしまうのです。
●ウザイ?理屈っぽいですか?そんな人はココで読むのをヤメましょう。
●この前、1995年と ZEEBRA という人物を軸に、日本のヒップホップの流れをなぞってみたんだけど(コチラの記事)、もうコレをキッカケに、次の世代のお話を考えてみたいと思っちゃいました。RIP SLYME はまさしく00年代世代を代表する中心ユニットだと、ボクんナカで位置づけてたからです。
●キーポイントは2003年。テーマは「ヒップホップの多様化と商業化」。
●1995年というほどハッキリとした分水嶺みたいな年は思いつかないんだけど、ボク個人の体感としては、2003年からシーンの空気が変わった。この年にボクは仕事の内容が変わって、より一層、映画/音楽などなどエンタメ物件にドップリ浸かり込むコトになった。だからそう見えるのかも知れない。(あ、今気づいたけど、ボクがネットで音楽の話を書き始めたのもこの頃だ…)
●具体的にこの時期、2003年前後に起こった出来事を列挙してみましょうか。
●2002年、RIP SLYME がヒップホップアーティストとして初めて日本武道館でライブを行う。そんでケツメイシがメジャーデビュー。2003年は nobodyknows+ がメジャーデビューして、名古屋のヒップホップシーンを全国区にのし上げる。2004年、KICK THE CAN CREW が解散、ソレゾレがソロアクトとして動き出す。他にもアレコレあるんだけど、多分言えることは、「ヒップホップが商売になるようになったコト」「スタイル、音楽、メッセージ、全てにおいて多様化が始まったコト」だと思う。コレが、2003年状況。
●さて、RIP SLYME をトッカカリに、この時代前後に登場したヒップホップアクトを見てみましょう。
●RIP SLYME / 文系ヒップホップの流れを、より楽しいパーティスタイルへ。

(RYO-Z、ILMARI、PES、SU、DJ FUMIYA)
●彼らがインディでリリース活動を始めたのは1995年。オマケに FILE RECORDS に所属。だから1995年状況と無縁というわけじゃない。むしろ濃ユイシーンの至近距離にいたはず。でもこの時期のインディ盤は正直没個性気味で退屈だった。
●彼らが自分たちの個性を、音楽的にもスタイル的にも確立させるようになるのは、多分、1999年頃の、DRAGON ASH との付き合いがキッカケだったと思う。ZEEBRA と散々モメタ DRAGON ASH。あの強烈なディス楽曲キングギドラ「公開処刑」で、RIP SLYME は一緒にメッタ切りされてるほどから。DRAGON ASH 主催のミクスチャーイベントに2年連続で出演、エビちゃんを射止めたフィンランド系のハーフMC イルマリくんは、降谷くんと一緒に STEADY & CO. というユニットも組んだ。現在も所属する芸能事務所、田辺エージェンシー(伝統ある大手さん!)とのディールを結んだのもココでのエンだという。
●そんで2001年、シングル「STEPPER'S DELIGHT」でメジャーデビュー。ジャケは当時絶頂を迎えてたデザインチーム GROOVISIONS が手掛け、赤塚不二夫をサンプルしたようなナイスデザイン。B-BOYチックなゴツい気分を完全脱臭したオシャレな5人に、雑誌は「丸の内のOLが今イチバン合コンしたい5人組」とコピーをつけた。ボク自身がとにかく大注目。生まれ変わったらリップスライムになりたいと思った(そして合コンしたいと思った)。DVDも買ったような気がする。
●なんてったって、イチバンのショックは彼らの音楽ね。1995年組と違ってBPMがスゴく速かったわけよ。多分日本人が楽しく踊りやすいと思える BPM125 くらいまでスピードアップしてるわけよ。2003年状況以降のアクトは基本テンポが速い。コレ、ヒップホップが日本文化(ジェイポップ)に着地普及していく重要な要素と思いますよ。オマケに彼らは4MCなもんで、そのマイクリレーも見どころ聴きどころなわけで。で、キラキラ&ゴッタ煮のサンプル感覚。DRAGON ASH との付き合いは、ヒップホップという様式を客観化し、ネクストレベルのミクスチャーに挑む為の重要な経験になったはずなのですよ。
●でさ、今んトコロの最新アルバムを聴いてみようよ。

●RIP SLYME「JOURNEY」2009年
●RIP SLYME と一緒に楽しい世界旅行へ。彼らのCD聴いてるとホントに楽しい気分になる。トラックが楽しい。DJ FUMIYA は一時期ボクと同じ自律神経失調症になって休業しちゃったけど、今では立派に復帰して、楽しいトラックを量産してる。MC でありながら トラックも組む PES の活躍も大好き。彼の鼻にかかった軽い声がサビラインを楽しげに歌う気分が好き。もう耳が自然とカレの声を探すもんね。
●シングル曲「太陽とビキニ」が最高。ドタドタ鳴りがバサつくドラムに、THE BEACH BOYS のようなコーラスが乗っかって、PES のフックラインがチャーミングに響く。今回はギターサウンドも含めてミクスチャー度が高くなってます。
●でもでも。ひたすらアッパーなパーティソングをやってるだけじゃないんです。トラックは明るいんだけど、実はリリックがクールだったりする。PES がトラックを手掛けた「JOURNEY」が一番そんな気分をにじませてる。アルバムを通して聴くと、実は MC たちの体温があまり高くなってないのが今回の特徴かも。
●m-flo / 全方位型クラブミュージック。ヒップホップの枠をより拡大。
(TAKU TAKAHASHI、VERVAL)
●m-flo がヒップホップか?微妙だよね。もちろん VERVAL というMCがおります。オマケにカレは、RIP SLYMEのメンバー RYO-Z、ILMARI、A BATHING APE の社長 NIGO らと TERIYAKI BOYZ というユニットを結成。NIGO 人脈で THE NEPTUNES や KANYE WEST みたいなアメリカの超一流&超ナード系プロデューサーと仕事してます。
●2003年という時期で言うと、ちょうど m-flo は女性シンガー LISA が脱退してしまい、プロデューサー TAKU TAKAHASHI & VERVAL の2人体制になったというキャリアの大きな節目。そこから「m-flo loves」路線が始まる。コレで彼らの活動はよりメジャー化。安室奈美恵から加藤ミリヤ、BoA、和田アキ子まで召喚するんだもん。
●m-flo がヒップホップかどうかは別にして、コレは本人たちがメチャ意識してたことだと思うけど、最先端のクラブミュージックを、どうやって日本のメジャーシーンに着地させるか、というチャレンジが彼らを価値あるアーティストにしていると思う。ハウス、テクノ、ドラムンベース、2ステップ、R&B……。その中にヒップホップも呑み込まれてる。

●m-flo「MF10 -10th ANNIVERSARY BEST-」1998〜2008年
●LISA 在籍時代のキャリア前半(1999〜2002年)と「m-flo loves」時代(2003〜2008年)を二枚のディスクに分割して収録。さらにプロモをカットアップしたDVDのオマケ付き。
●実は LISA 時代の音をこんなにマジメに聴いたことがなかった。コロンビア系ハーフの彼女は高音の伸びがキレイなR&Bシンガーで、スローでも十分イケルと思い知る。BARBRA STREISAND のカバー「THE WAY WE WERE」が優雅で、かつ VERVAL の完全英語ラップも聴ける。LISA 時代の方が VERVAL のラップもノビノビしてるなあ。モチロン TAKU はヒップホップのトラックメイカーではないので、ソレを器用に乗りこなす VERVAL のラップは自然と高速化してユニークなモノに進化してる。2003年状況的進化。スタイルの多様化。あとその後の商業的成功。
●「COME AGAIN」は LISA 時代で一番印象深い曲。多分彼らにとっても重要なヒットシングル。改めて聴くと見事な2ステップでした。安室奈美恵と「loves」した「LUVOTOMY」は、そんな耳で聴くとグライムになってます。Aメロの途中や VERVAL の二回目のラップパートで出てくるブヨブヨなシンセベースね。
●SOUL'd OUT / 日本語圧縮特殊フロウで、歌うラップを確立。

(BRO. HI、DIGGY-MO'、SHINNOSUKE)
●この2MC+トラックメイカーのユニット、果たしてどんだけの認知度でしょうか?あんま有名でナイかも?でもこの人たちの音楽はスゴくユニークだよ。実は m-flo の VERVAL がフックアップして2003年にメジャーデビュー。音楽の内容も、タイミングも引っ括めて、これも2003年状況の一端と思うんです。
●リーダーでメインMCである、DIGGY-MO' がスゴい。そのハードコアな面構えとはウラハラに、ピアノ歴10年という真っ当な音楽教育を前提に、ブラック&ディスコティークなサウンドプロデュースをシッカリ担当。そしてもうナニ言ってんだがほぼ100%意味不明なほどに圧縮されてしまったラップが実にユニーク。英語か日本語かわからないのに、オマケに結構ネバツく粘着質なダミ声なのに、フロウにメロディがあって、実にキャッチーに聴こえる。
●スタイルの多様化という意味では、DIGGY-MO' のラップスタイルだけが注目って訳じゃない。実はDJがいない。後ろに陣取る SHINNOSUKE なる人物はターンテーブルを使わない。TRACKMASTER と名乗って、シンセの演奏をしてる。フロントMCの二人にはヒップホップのB-BOYイズムがプンプン臭うんだけど、この人はフツウのロングヘアーなんです。
●一度だけイベントで彼らのライブを見たことがある。180センチを超える長身の DIGGY-MO' は深く被ったキャップで表情を隠しつつ、それでも分かっちゃうほどスゴい目つきで客席を睨みつけてた。客にケンカ売ってんのかって位に。で、盛り上がるフロアを尻目に、全然動かないのよ。高速ラップを弾き出しつつも、自分じゃ煽らない。オレのフロウだけでオマエらを揺さぶる、って不遜なオーラがスゴかったな。

●DIGGY-MO'「LIVE TOUR 2009 ''WHO THE F××× IS JUVE ?'' + REMIXIES」2009年
●そんな怪人 DIGGY-MO' が最近はソロ活動を始めました。コレがそのソロツアーの様子を収録したライブDVD。ココで彼は完全なロックバンドを背負って、完全なミクスチャーロックを鳴らしています。彼自身の持ち味であるメロディックなフロウが、ドカドカのロックサウンドに彩られております。ヒップホップのパフォーマンスじゃあり得ない、マイクスタンドが登場。これを握って DIGGY-MO' はシャウト、ステージ狭しと跳ね回ります。元 m-flo の LISA もゲスト出演。
●ちょっと話それるけど、ミクスチャーロックって、一度突き詰めて聴いてみてもイイジャンルだよね…。
●KICK THE CAN CREW / ヒップホップヒーロー KREVA の登場。
(KREVA A.K.A. DR.K)
●キックが結成されたのは1997年のコトらしい。インディ時代の彼らのコトはボクは知らない。メジャーデビューした2001年がやっぱ印象深いな。セカンドシングル「イツナロウバ」が初めての音。2002年には紅白歌合戦に出場。3MCのマイクリレーだったから自然と RIP SLYME と同じ世代だと思った。実際、RHYMESTER の率いるクルー FUNKY GRAMMER UNIT にこの2つのグループは所属している。2003年状況を形成する重要アーティストだと思います。
●でも、2004年にキックは解散しちゃう。もともと別々のグループで活動してた三人が集まったユニットだけに、三人ソレゾレの活動に戻ってくのも抵抗がなかったみたい。で、より大きな存在感でメジャーシーンに立ち位置を作ったのが KREVA。B-BOY PARK MC BATTLE で三年連続優勝という筋金入りのラップスキルからついた名前が ドクターK。今なお明確な売上げを見込めるピンMCとしてシーンに君臨してます。今年もニューアルバム出してるしね。今のキッズは素朴にカレのようなMCに憧れるのではないでしょうか。2003年状況以降のヒップホップヒーロー。
●ただね、難を言うとね、ボク個人の趣味だとね、カレの作るトラックがね、どうも苦手なのです。キックもソロも、基本みんなカレがトラックメイキングをしてる。でもサンプルしないし、要素が薄いし、イマイチのれない…。だから、ココで紹介するのはカレ以外の人間がトラックに関わってる音なのです。

●KREVA FEAT. MUMMY-D「ファンキーグラマラス」2005年
●2004年発売のアルバム「新人クレバ」に収録されてた曲。先輩筋に当たる RHYMESTER のMC MUMMY-D を召喚。MUMMY-D 仕込みっぽいスネアの抜けが気持ちイイトラック& KREVA 仕込みっぽい大味なシンセリフがハイスピードで駆け抜ける。速射砲ラップとして一歩もヒケをとらない2MCの密度濃いタッグバトルは実に見物。MUMMY-D の別ユニット マボロシ のアルバムにもこの曲のバージョン違いがあるんだけど、その楽曲の KREVA リミックスまでこのシングルには収録されてます。

●THE THREE「裏切り御免」2008年
●この THE THREE ってのは、KREVA、布袋寅泰、亀田誠治によるスーパーユニット。映画「隠し砦の三悪人」のトラックをトッププロデューサー&ベーシスト亀田誠治(椎名林檎から平井堅まで手掛ける)が担当するにあたって、より凶悪な三人組を組織しました。亀田氏が用意したプラットフォームを土台に、ギター侍・布袋寅泰とドクター KREVA が暴れます。さすがドクターK。全然ヒップホップではないトラックですが見事に乗りこなしてる。
●ココで頭のスミッコにチラつくのが、RIP SLYME × 布袋寅泰「BATTLE FUNKASTIC」のマッシュアップ。2006年のことでした。アレは日本でもっとも成功したマッシュアップチューンでしょ。タランティーノもイレコンで「KILL BILL」に使っちゃった布袋代表作に5人がまんま乗っかる痛快ミクスチャー。アレも名作だったね。

●古内東子 x KREVA「A TO XYZ / スロウビート」2009年
●こりゃまた意外なコラボだ。古内東子ですよ。キャッチコピーが「恋愛の教祖」だっけ?ボク、マジメに聴いたの初めてかも知れない。……あ、でも悪くないかも。彼女の甘い声が、意外とヒップホップソウルとしてハマってる。変則技ナシの平凡なトラックが安心感につながってて、そんで KREVA のラップも落ち着いてて、2曲とも聴けちゃうのでした。…古内東子、ちょっとチェックするか?
●SEAMO / セルアウトか?ヒップホップの日本化か?「名古屋スクール」。
(''塾長'' SEAMO)
●SEAMO を始めとした、名古屋出身のヒップホップアクトも00年代に活躍した。この辺は以前詳しく書いたので、コチラの記事を読んでもらいたいのです。(「2009.07.11 「名古屋スクール」。nobodyknows+、HOME MADE 家族、SEAMO。」)……自分で読み返してみると、オマエ何ムキになってこんなこと書いてるの、と言う気分になりましたが。…多分この文章自体も、時間が経つとそう思えてくるでしょうが。とにかく、この名古屋から来た三組が、ジェイポップにおいてヒップホップの大衆化にモノスゴく寄与した、ってのがボクの見解です。「ガンバレ」「アリガトウ」「レンアイ」などなど、ジェイポップで重要な題材を分かり易いメッセージにしてラップし、お茶の間に進出したというか。見る人が見れば完全なセルアウトですがね。これもボクはヒップホップの多様化の一端と考えます。そしてヒップホップの商業化。儲かる音楽に成長しました。
●そん中でも SEAMO は重要人物だったはず。しかも、一度挫折してるドラマも感情移入できるポイント。2002年に「シーモネーター&DJ TAKE-SHIT」として一度メジャーデビュー。そんで滑ってなんとメジャー落ち。2003年に後輩 nobodyknows+、2004年に HOME MADE 家族がメジャーに上がってブレイクするのを眺めているのが死ぬほど悔しかったという。そして「もうアトがない」とココロに決めて、2005年再デビュー。「SEAMO」と改称して下ネタ封印。うん、苦労人です。そんで、頑張って売れました。

●SEAMO「BEST OF SEAMO」2005〜2009年
●まー正直言って、SEAMO のシングル曲は好きじゃない物件が多いのです。どう割り引いてもセルアウトだよなーと思う曲がある。トラックがヒップホップじゃないもん。だからベスト盤は、ボクにとってはワースト盤になっちゃったり。そんなケース、他にないですよ。「ルパン・ザ・ファイヤー」みたいなアニソンサンプルにウチのコドモは反応しまくってるけど。新曲「キミヲワスレナイ」はなんと「天空の城ラピュタ」のテーマを大ネタサンプルしてて、ワイフが反応しちゃった。総選挙直前にリリースされた「不景気なんてぶっとばせ!!」は、とある政治家からレコード会社に問い合わせが入ったとか。「アレは実にイイ曲だね!」だって。
●そんなコトで2003年状況以降を一世風靡してる「名古屋スクール」&SEAMO です。SEAMO はかつて自身のクルー「男塾」を率いて名古屋のシーンを活性化した。彼が組織したクラブイベント「名古屋男尻(だんじり)祭り」は今や伝説。そのスピリッツは現在でも劣化せず、「TOKAI SUMMIT」なる大型イベントを主催して名古屋のシーンの活性化を担ってる。
●SOFFET / ヒップホップの限界軟弱スタイル。
(GOOF、YOYO)
●このユニットも2003年メジャーデビューです。別にシーンの中で重要なアクトとは思いませんが、ヒップホップ多様化の一端として非常に象徴的な連中と見ております。B-BOYスタイルから100万光年遠ざかり、フツウのオンナノコでも楽しめるチャーミングな音楽を目指した戦略は、やっぱ時代を感じさせると言うか。
●2MC、YOYO & GOOF の二人組。デビューの瞬間からボクが引っかかってたのが YOYO のキャリア。トラックメイカーである彼は、アメリカ・バークレー音楽院への留学経験アリ。ジャズ〜ポップス系音楽教育の最高学府だもんね。だから自分でイロイロな楽器が演奏出来るし、ステージでもヒップホップではあり得ないほど生演奏が登場する。サンプルじゃないけど楽しいトラック。あとセンチメンタルなピアノ。時にポップス、時にジャジー。ボクはユニークだと思った。そんな彼らも5年のキャリアを歩みました。

●SOFFET「BEST OF SOFFET」2003〜2008年
●ヒップホップというフォームを限界まで軟弱にしましたね、って言われても、彼らは異議を唱えたりしないと思う。シャッフルするジャジーなリズムに、ハナウタを歌うようなフシのついたラップを乗せる。そのテーマも、誰も傷つかないようなホンワカラブソングとか南の島の楽しいヴァケーションとか、ちょっとだけシュンとする失恋物語とか。時にメランコリックな人生の黄昏も忍び込む…。「春風」ではマイナーラインのサビメロディに、キュンとするほどのセンチメンタル仕掛け。「キグルミマスター」は非力ながらも精一杯イキガッた高速フロウ&チャーミングビート。
●コレはあくまでシングル曲ばっかだけど、アルバム曲やシングルカップリングにはハッとするようなジャジートラックがあるんですよ。例えばシングル「LIFE」のカップリング「UNITED COLORS」が超個人的クラシックチューン。皆さんも注目してみてくださいね。
●AFRA / 2003年デビューのヒューマンビートボクサー。
(AFRA、CMで衝撃の登場!)
●ゼロックスのCM、皆さん覚えてるでしょ。AFRA がその世界最高峰のヒューマンビートボクシンを15秒のVTRで見せつけた瞬間。コレ、人間の口だけで聴こえてる音なのかよ?!って驚いたでしょ。そんなカレも2003年デビューでした。2003年状況は日本のヒップホップを広く薄く伸ばしていくだけではなくて、こんな職人クリエイターを輩出したような、「深化」のベクトルもあるわけです。

●AFRA「ALWAYS FRESH RHYTHM ATTACK !!!」2003年
●ある意味では全部口だけで演奏してしまってるわけで。つまりは音楽表現として楽器も使わない非常に野蛮な形態ってわけで。なのに、深いエコーとか、ちょいと差し込むシンセ音とかが、野蛮であるはずのこの音楽を、21世紀にふさわしいフューチャーリスティックな音響に仕上げてくれてます。ぶっちゃけあんまりスゴスギルスキルなので、聴き流してると普通のループビートに思えちゃう。ヒューマンビートボクシンに聴こえない。それじゃご利益ないじゃん、というくらいスゴいです。
●でさ、このヴン!パッ!チキチキ!パ!ブブン!パ!チチキチ!パッ!って言うパフォーマンスはさ、タダの楽器の口マネじゃないのですよね。太鼓の音を再現してるだけじゃない。あくまでヒップホップの音なんですよ。ヒップホップ的なキック音、スネア音、ハイハット音ってのは、もはや一部のファンには無意識下のフェティッシュな楽しみとして認識されてて、その鳴りだけでゴハン三杯イケちゃうって瞬間がある。で、AFRA はそのミンナの頭の中にあるフェチなヒップホップ音を口で再現してくれる。でボクは思う。ヒップホップの音ってコレなのよ!こう鳴ってなくちゃダメなのよ!AFRA 自身もナニがヒップホップの音なのか、マイクを握りながらズッと考えたと思うよ。どんな音だって出せるけど、出すべき音はコレだって。コレじゃなきゃヒップホップじゃねえって。つまりはね、大事なのはヒップホップ愛ってコトなのよ(ああ、ダメな結論だ)。
●このアルバムに参加してる彼のコラボレーターは、1995年状況以前に活躍した「おもろラップ」スチャダラパー人脈だ。スチャ自身も登板するが、彼らの信頼が厚い脱線3のMC ロボ宙が二曲でラップ。そして炎のエレクトーンプレイヤー TUCKER。AFRA、TUCKER、そして AI の三人でコラボしたシングル「WATCH OUT !」はそのプロモも含めて最高&必見です。
AI feat. AFRA+TUCKER「WATCH OUT !」2004年
●今回は、ちょっと散漫な印象になっちゃったなあ…。ただし、日本のヒップホップはホント分厚くなりましたよ。ムカシは探すのが難しかったくらいなのに。
●またしてもカードのハコ買いをしました長男ノマド。今回ゲットしたのは第6シリーズ「爆神」。…オマエこのカードに書いてある漢字を全部覚えたらカナリ頭よくなれる気がするよ。

●朝っぱらから、カードの分類をしてその能力を研究するノマド。エックスレアカードだってゲットしたらしい。娘ヒヨコはカードの強さじゃなくて、イラストのかわいさが大切。

●左がキラキラのエックスレア「天帝ホウオウガ」。キラキラすぎて上手くスキャン出来なかったよ。コレが新しいノマドの切り札。一方ヒヨコの一番のお気に入りが右の一枚。なに?「メェ〜ポン」って?カワイいけどスッゴく弱い。でもヒヨコ的にはスッゴくカワイい。
●エビちゃんと ILMARI が結婚?!
(交際7ヶ月でゴールインだそうだ。相手がお笑いじゃなくてよかった。)●スポニチのネットニュースに載ってたよん。「海老蔵の次はエビちゃん!「エビちゃん」の愛称で人気のモデル蛯原友里(30)と人気ヒップホップグループ「RIP SLYME」の ILMARI(イルマリ、34)が来春までに結婚することが20日、分かった。」へー、それはおめでたいことで。だってイルマリ実際カッコいいもん!こりゃしょうがないや。
●でさ、コレをキッカケにまた日本のヒップホップの歴史へとハナシをワープさせてしまうのです。
●ウザイ?理屈っぽいですか?そんな人はココで読むのをヤメましょう。
●この前、1995年と ZEEBRA という人物を軸に、日本のヒップホップの流れをなぞってみたんだけど(コチラの記事)、もうコレをキッカケに、次の世代のお話を考えてみたいと思っちゃいました。RIP SLYME はまさしく00年代世代を代表する中心ユニットだと、ボクんナカで位置づけてたからです。
●キーポイントは2003年。テーマは「ヒップホップの多様化と商業化」。
●1995年というほどハッキリとした分水嶺みたいな年は思いつかないんだけど、ボク個人の体感としては、2003年からシーンの空気が変わった。この年にボクは仕事の内容が変わって、より一層、映画/音楽などなどエンタメ物件にドップリ浸かり込むコトになった。だからそう見えるのかも知れない。(あ、今気づいたけど、ボクがネットで音楽の話を書き始めたのもこの頃だ…)
●具体的にこの時期、2003年前後に起こった出来事を列挙してみましょうか。
●2002年、RIP SLYME がヒップホップアーティストとして初めて日本武道館でライブを行う。そんでケツメイシがメジャーデビュー。2003年は nobodyknows+ がメジャーデビューして、名古屋のヒップホップシーンを全国区にのし上げる。2004年、KICK THE CAN CREW が解散、ソレゾレがソロアクトとして動き出す。他にもアレコレあるんだけど、多分言えることは、「ヒップホップが商売になるようになったコト」「スタイル、音楽、メッセージ、全てにおいて多様化が始まったコト」だと思う。コレが、2003年状況。
●さて、RIP SLYME をトッカカリに、この時代前後に登場したヒップホップアクトを見てみましょう。
●RIP SLYME / 文系ヒップホップの流れを、より楽しいパーティスタイルへ。

(RYO-Z、ILMARI、PES、SU、DJ FUMIYA)
●彼らがインディでリリース活動を始めたのは1995年。オマケに FILE RECORDS に所属。だから1995年状況と無縁というわけじゃない。むしろ濃ユイシーンの至近距離にいたはず。でもこの時期のインディ盤は正直没個性気味で退屈だった。
●彼らが自分たちの個性を、音楽的にもスタイル的にも確立させるようになるのは、多分、1999年頃の、DRAGON ASH との付き合いがキッカケだったと思う。ZEEBRA と散々モメタ DRAGON ASH。あの強烈なディス楽曲キングギドラ「公開処刑」で、RIP SLYME は一緒にメッタ切りされてるほどから。DRAGON ASH 主催のミクスチャーイベントに2年連続で出演、エビちゃんを射止めたフィンランド系のハーフMC イルマリくんは、降谷くんと一緒に STEADY & CO. というユニットも組んだ。現在も所属する芸能事務所、田辺エージェンシー(伝統ある大手さん!)とのディールを結んだのもココでのエンだという。
●そんで2001年、シングル「STEPPER'S DELIGHT」でメジャーデビュー。ジャケは当時絶頂を迎えてたデザインチーム GROOVISIONS が手掛け、赤塚不二夫をサンプルしたようなナイスデザイン。B-BOYチックなゴツい気分を完全脱臭したオシャレな5人に、雑誌は「丸の内のOLが今イチバン合コンしたい5人組」とコピーをつけた。ボク自身がとにかく大注目。生まれ変わったらリップスライムになりたいと思った(そして合コンしたいと思った)。DVDも買ったような気がする。
●なんてったって、イチバンのショックは彼らの音楽ね。1995年組と違ってBPMがスゴく速かったわけよ。多分日本人が楽しく踊りやすいと思える BPM125 くらいまでスピードアップしてるわけよ。2003年状況以降のアクトは基本テンポが速い。コレ、ヒップホップが日本文化(ジェイポップ)に着地普及していく重要な要素と思いますよ。オマケに彼らは4MCなもんで、そのマイクリレーも見どころ聴きどころなわけで。で、キラキラ&ゴッタ煮のサンプル感覚。DRAGON ASH との付き合いは、ヒップホップという様式を客観化し、ネクストレベルのミクスチャーに挑む為の重要な経験になったはずなのですよ。
●でさ、今んトコロの最新アルバムを聴いてみようよ。

●RIP SLYME「JOURNEY」2009年
●RIP SLYME と一緒に楽しい世界旅行へ。彼らのCD聴いてるとホントに楽しい気分になる。トラックが楽しい。DJ FUMIYA は一時期ボクと同じ自律神経失調症になって休業しちゃったけど、今では立派に復帰して、楽しいトラックを量産してる。MC でありながら トラックも組む PES の活躍も大好き。彼の鼻にかかった軽い声がサビラインを楽しげに歌う気分が好き。もう耳が自然とカレの声を探すもんね。
●シングル曲「太陽とビキニ」が最高。ドタドタ鳴りがバサつくドラムに、THE BEACH BOYS のようなコーラスが乗っかって、PES のフックラインがチャーミングに響く。今回はギターサウンドも含めてミクスチャー度が高くなってます。
●でもでも。ひたすらアッパーなパーティソングをやってるだけじゃないんです。トラックは明るいんだけど、実はリリックがクールだったりする。PES がトラックを手掛けた「JOURNEY」が一番そんな気分をにじませてる。アルバムを通して聴くと、実は MC たちの体温があまり高くなってないのが今回の特徴かも。
●m-flo / 全方位型クラブミュージック。ヒップホップの枠をより拡大。
(TAKU TAKAHASHI、VERVAL)●m-flo がヒップホップか?微妙だよね。もちろん VERVAL というMCがおります。オマケにカレは、RIP SLYMEのメンバー RYO-Z、ILMARI、A BATHING APE の社長 NIGO らと TERIYAKI BOYZ というユニットを結成。NIGO 人脈で THE NEPTUNES や KANYE WEST みたいなアメリカの超一流&超ナード系プロデューサーと仕事してます。
●2003年という時期で言うと、ちょうど m-flo は女性シンガー LISA が脱退してしまい、プロデューサー TAKU TAKAHASHI & VERVAL の2人体制になったというキャリアの大きな節目。そこから「m-flo loves」路線が始まる。コレで彼らの活動はよりメジャー化。安室奈美恵から加藤ミリヤ、BoA、和田アキ子まで召喚するんだもん。
●m-flo がヒップホップかどうかは別にして、コレは本人たちがメチャ意識してたことだと思うけど、最先端のクラブミュージックを、どうやって日本のメジャーシーンに着地させるか、というチャレンジが彼らを価値あるアーティストにしていると思う。ハウス、テクノ、ドラムンベース、2ステップ、R&B……。その中にヒップホップも呑み込まれてる。

●m-flo「MF10 -10th ANNIVERSARY BEST-」1998〜2008年
●LISA 在籍時代のキャリア前半(1999〜2002年)と「m-flo loves」時代(2003〜2008年)を二枚のディスクに分割して収録。さらにプロモをカットアップしたDVDのオマケ付き。
●実は LISA 時代の音をこんなにマジメに聴いたことがなかった。コロンビア系ハーフの彼女は高音の伸びがキレイなR&Bシンガーで、スローでも十分イケルと思い知る。BARBRA STREISAND のカバー「THE WAY WE WERE」が優雅で、かつ VERVAL の完全英語ラップも聴ける。LISA 時代の方が VERVAL のラップもノビノビしてるなあ。モチロン TAKU はヒップホップのトラックメイカーではないので、ソレを器用に乗りこなす VERVAL のラップは自然と高速化してユニークなモノに進化してる。2003年状況的進化。スタイルの多様化。あとその後の商業的成功。
●「COME AGAIN」は LISA 時代で一番印象深い曲。多分彼らにとっても重要なヒットシングル。改めて聴くと見事な2ステップでした。安室奈美恵と「loves」した「LUVOTOMY」は、そんな耳で聴くとグライムになってます。Aメロの途中や VERVAL の二回目のラップパートで出てくるブヨブヨなシンセベースね。
●SOUL'd OUT / 日本語圧縮特殊フロウで、歌うラップを確立。

(BRO. HI、DIGGY-MO'、SHINNOSUKE)
●この2MC+トラックメイカーのユニット、果たしてどんだけの認知度でしょうか?あんま有名でナイかも?でもこの人たちの音楽はスゴくユニークだよ。実は m-flo の VERVAL がフックアップして2003年にメジャーデビュー。音楽の内容も、タイミングも引っ括めて、これも2003年状況の一端と思うんです。
●リーダーでメインMCである、DIGGY-MO' がスゴい。そのハードコアな面構えとはウラハラに、ピアノ歴10年という真っ当な音楽教育を前提に、ブラック&ディスコティークなサウンドプロデュースをシッカリ担当。そしてもうナニ言ってんだがほぼ100%意味不明なほどに圧縮されてしまったラップが実にユニーク。英語か日本語かわからないのに、オマケに結構ネバツく粘着質なダミ声なのに、フロウにメロディがあって、実にキャッチーに聴こえる。
●スタイルの多様化という意味では、DIGGY-MO' のラップスタイルだけが注目って訳じゃない。実はDJがいない。後ろに陣取る SHINNOSUKE なる人物はターンテーブルを使わない。TRACKMASTER と名乗って、シンセの演奏をしてる。フロントMCの二人にはヒップホップのB-BOYイズムがプンプン臭うんだけど、この人はフツウのロングヘアーなんです。
●一度だけイベントで彼らのライブを見たことがある。180センチを超える長身の DIGGY-MO' は深く被ったキャップで表情を隠しつつ、それでも分かっちゃうほどスゴい目つきで客席を睨みつけてた。客にケンカ売ってんのかって位に。で、盛り上がるフロアを尻目に、全然動かないのよ。高速ラップを弾き出しつつも、自分じゃ煽らない。オレのフロウだけでオマエらを揺さぶる、って不遜なオーラがスゴかったな。

●DIGGY-MO'「LIVE TOUR 2009 ''WHO THE F××× IS JUVE ?'' + REMIXIES」2009年
●そんな怪人 DIGGY-MO' が最近はソロ活動を始めました。コレがそのソロツアーの様子を収録したライブDVD。ココで彼は完全なロックバンドを背負って、完全なミクスチャーロックを鳴らしています。彼自身の持ち味であるメロディックなフロウが、ドカドカのロックサウンドに彩られております。ヒップホップのパフォーマンスじゃあり得ない、マイクスタンドが登場。これを握って DIGGY-MO' はシャウト、ステージ狭しと跳ね回ります。元 m-flo の LISA もゲスト出演。
●ちょっと話それるけど、ミクスチャーロックって、一度突き詰めて聴いてみてもイイジャンルだよね…。
●KICK THE CAN CREW / ヒップホップヒーロー KREVA の登場。
(KREVA A.K.A. DR.K)●キックが結成されたのは1997年のコトらしい。インディ時代の彼らのコトはボクは知らない。メジャーデビューした2001年がやっぱ印象深いな。セカンドシングル「イツナロウバ」が初めての音。2002年には紅白歌合戦に出場。3MCのマイクリレーだったから自然と RIP SLYME と同じ世代だと思った。実際、RHYMESTER の率いるクルー FUNKY GRAMMER UNIT にこの2つのグループは所属している。2003年状況を形成する重要アーティストだと思います。
●でも、2004年にキックは解散しちゃう。もともと別々のグループで活動してた三人が集まったユニットだけに、三人ソレゾレの活動に戻ってくのも抵抗がなかったみたい。で、より大きな存在感でメジャーシーンに立ち位置を作ったのが KREVA。B-BOY PARK MC BATTLE で三年連続優勝という筋金入りのラップスキルからついた名前が ドクターK。今なお明確な売上げを見込めるピンMCとしてシーンに君臨してます。今年もニューアルバム出してるしね。今のキッズは素朴にカレのようなMCに憧れるのではないでしょうか。2003年状況以降のヒップホップヒーロー。
●ただね、難を言うとね、ボク個人の趣味だとね、カレの作るトラックがね、どうも苦手なのです。キックもソロも、基本みんなカレがトラックメイキングをしてる。でもサンプルしないし、要素が薄いし、イマイチのれない…。だから、ココで紹介するのはカレ以外の人間がトラックに関わってる音なのです。

●KREVA FEAT. MUMMY-D「ファンキーグラマラス」2005年
●2004年発売のアルバム「新人クレバ」に収録されてた曲。先輩筋に当たる RHYMESTER のMC MUMMY-D を召喚。MUMMY-D 仕込みっぽいスネアの抜けが気持ちイイトラック& KREVA 仕込みっぽい大味なシンセリフがハイスピードで駆け抜ける。速射砲ラップとして一歩もヒケをとらない2MCの密度濃いタッグバトルは実に見物。MUMMY-D の別ユニット マボロシ のアルバムにもこの曲のバージョン違いがあるんだけど、その楽曲の KREVA リミックスまでこのシングルには収録されてます。

●THE THREE「裏切り御免」2008年
●この THE THREE ってのは、KREVA、布袋寅泰、亀田誠治によるスーパーユニット。映画「隠し砦の三悪人」のトラックをトッププロデューサー&ベーシスト亀田誠治(椎名林檎から平井堅まで手掛ける)が担当するにあたって、より凶悪な三人組を組織しました。亀田氏が用意したプラットフォームを土台に、ギター侍・布袋寅泰とドクター KREVA が暴れます。さすがドクターK。全然ヒップホップではないトラックですが見事に乗りこなしてる。
●ココで頭のスミッコにチラつくのが、RIP SLYME × 布袋寅泰「BATTLE FUNKASTIC」のマッシュアップ。2006年のことでした。アレは日本でもっとも成功したマッシュアップチューンでしょ。タランティーノもイレコンで「KILL BILL」に使っちゃった布袋代表作に5人がまんま乗っかる痛快ミクスチャー。アレも名作だったね。

●古内東子 x KREVA「A TO XYZ / スロウビート」2009年
●こりゃまた意外なコラボだ。古内東子ですよ。キャッチコピーが「恋愛の教祖」だっけ?ボク、マジメに聴いたの初めてかも知れない。……あ、でも悪くないかも。彼女の甘い声が、意外とヒップホップソウルとしてハマってる。変則技ナシの平凡なトラックが安心感につながってて、そんで KREVA のラップも落ち着いてて、2曲とも聴けちゃうのでした。…古内東子、ちょっとチェックするか?
●SEAMO / セルアウトか?ヒップホップの日本化か?「名古屋スクール」。
(''塾長'' SEAMO)●SEAMO を始めとした、名古屋出身のヒップホップアクトも00年代に活躍した。この辺は以前詳しく書いたので、コチラの記事を読んでもらいたいのです。(「2009.07.11 「名古屋スクール」。nobodyknows+、HOME MADE 家族、SEAMO。」)……自分で読み返してみると、オマエ何ムキになってこんなこと書いてるの、と言う気分になりましたが。…多分この文章自体も、時間が経つとそう思えてくるでしょうが。とにかく、この名古屋から来た三組が、ジェイポップにおいてヒップホップの大衆化にモノスゴく寄与した、ってのがボクの見解です。「ガンバレ」「アリガトウ」「レンアイ」などなど、ジェイポップで重要な題材を分かり易いメッセージにしてラップし、お茶の間に進出したというか。見る人が見れば完全なセルアウトですがね。これもボクはヒップホップの多様化の一端と考えます。そしてヒップホップの商業化。儲かる音楽に成長しました。
●そん中でも SEAMO は重要人物だったはず。しかも、一度挫折してるドラマも感情移入できるポイント。2002年に「シーモネーター&DJ TAKE-SHIT」として一度メジャーデビュー。そんで滑ってなんとメジャー落ち。2003年に後輩 nobodyknows+、2004年に HOME MADE 家族がメジャーに上がってブレイクするのを眺めているのが死ぬほど悔しかったという。そして「もうアトがない」とココロに決めて、2005年再デビュー。「SEAMO」と改称して下ネタ封印。うん、苦労人です。そんで、頑張って売れました。

●SEAMO「BEST OF SEAMO」2005〜2009年
●まー正直言って、SEAMO のシングル曲は好きじゃない物件が多いのです。どう割り引いてもセルアウトだよなーと思う曲がある。トラックがヒップホップじゃないもん。だからベスト盤は、ボクにとってはワースト盤になっちゃったり。そんなケース、他にないですよ。「ルパン・ザ・ファイヤー」みたいなアニソンサンプルにウチのコドモは反応しまくってるけど。新曲「キミヲワスレナイ」はなんと「天空の城ラピュタ」のテーマを大ネタサンプルしてて、ワイフが反応しちゃった。総選挙直前にリリースされた「不景気なんてぶっとばせ!!」は、とある政治家からレコード会社に問い合わせが入ったとか。「アレは実にイイ曲だね!」だって。
●そんなコトで2003年状況以降を一世風靡してる「名古屋スクール」&SEAMO です。SEAMO はかつて自身のクルー「男塾」を率いて名古屋のシーンを活性化した。彼が組織したクラブイベント「名古屋男尻(だんじり)祭り」は今や伝説。そのスピリッツは現在でも劣化せず、「TOKAI SUMMIT」なる大型イベントを主催して名古屋のシーンの活性化を担ってる。
●SOFFET / ヒップホップの限界軟弱スタイル。
(GOOF、YOYO)●このユニットも2003年メジャーデビューです。別にシーンの中で重要なアクトとは思いませんが、ヒップホップ多様化の一端として非常に象徴的な連中と見ております。B-BOYスタイルから100万光年遠ざかり、フツウのオンナノコでも楽しめるチャーミングな音楽を目指した戦略は、やっぱ時代を感じさせると言うか。
●2MC、YOYO & GOOF の二人組。デビューの瞬間からボクが引っかかってたのが YOYO のキャリア。トラックメイカーである彼は、アメリカ・バークレー音楽院への留学経験アリ。ジャズ〜ポップス系音楽教育の最高学府だもんね。だから自分でイロイロな楽器が演奏出来るし、ステージでもヒップホップではあり得ないほど生演奏が登場する。サンプルじゃないけど楽しいトラック。あとセンチメンタルなピアノ。時にポップス、時にジャジー。ボクはユニークだと思った。そんな彼らも5年のキャリアを歩みました。

●SOFFET「BEST OF SOFFET」2003〜2008年
●ヒップホップというフォームを限界まで軟弱にしましたね、って言われても、彼らは異議を唱えたりしないと思う。シャッフルするジャジーなリズムに、ハナウタを歌うようなフシのついたラップを乗せる。そのテーマも、誰も傷つかないようなホンワカラブソングとか南の島の楽しいヴァケーションとか、ちょっとだけシュンとする失恋物語とか。時にメランコリックな人生の黄昏も忍び込む…。「春風」ではマイナーラインのサビメロディに、キュンとするほどのセンチメンタル仕掛け。「キグルミマスター」は非力ながらも精一杯イキガッた高速フロウ&チャーミングビート。
●コレはあくまでシングル曲ばっかだけど、アルバム曲やシングルカップリングにはハッとするようなジャジートラックがあるんですよ。例えばシングル「LIFE」のカップリング「UNITED COLORS」が超個人的クラシックチューン。皆さんも注目してみてくださいね。
●AFRA / 2003年デビューのヒューマンビートボクサー。
(AFRA、CMで衝撃の登場!)●ゼロックスのCM、皆さん覚えてるでしょ。AFRA がその世界最高峰のヒューマンビートボクシンを15秒のVTRで見せつけた瞬間。コレ、人間の口だけで聴こえてる音なのかよ?!って驚いたでしょ。そんなカレも2003年デビューでした。2003年状況は日本のヒップホップを広く薄く伸ばしていくだけではなくて、こんな職人クリエイターを輩出したような、「深化」のベクトルもあるわけです。

●AFRA「ALWAYS FRESH RHYTHM ATTACK !!!」2003年
●ある意味では全部口だけで演奏してしまってるわけで。つまりは音楽表現として楽器も使わない非常に野蛮な形態ってわけで。なのに、深いエコーとか、ちょいと差し込むシンセ音とかが、野蛮であるはずのこの音楽を、21世紀にふさわしいフューチャーリスティックな音響に仕上げてくれてます。ぶっちゃけあんまりスゴスギルスキルなので、聴き流してると普通のループビートに思えちゃう。ヒューマンビートボクシンに聴こえない。それじゃご利益ないじゃん、というくらいスゴいです。
●でさ、このヴン!パッ!チキチキ!パ!ブブン!パ!チチキチ!パッ!って言うパフォーマンスはさ、タダの楽器の口マネじゃないのですよね。太鼓の音を再現してるだけじゃない。あくまでヒップホップの音なんですよ。ヒップホップ的なキック音、スネア音、ハイハット音ってのは、もはや一部のファンには無意識下のフェティッシュな楽しみとして認識されてて、その鳴りだけでゴハン三杯イケちゃうって瞬間がある。で、AFRA はそのミンナの頭の中にあるフェチなヒップホップ音を口で再現してくれる。でボクは思う。ヒップホップの音ってコレなのよ!こう鳴ってなくちゃダメなのよ!AFRA 自身もナニがヒップホップの音なのか、マイクを握りながらズッと考えたと思うよ。どんな音だって出せるけど、出すべき音はコレだって。コレじゃなきゃヒップホップじゃねえって。つまりはね、大事なのはヒップホップ愛ってコトなのよ(ああ、ダメな結論だ)。
●このアルバムに参加してる彼のコラボレーターは、1995年状況以前に活躍した「おもろラップ」スチャダラパー人脈だ。スチャ自身も登板するが、彼らの信頼が厚い脱線3のMC ロボ宙が二曲でラップ。そして炎のエレクトーンプレイヤー TUCKER。AFRA、TUCKER、そして AI の三人でコラボしたシングル「WATCH OUT !」はそのプロモも含めて最高&必見です。
AI feat. AFRA+TUCKER「WATCH OUT !」2004年●今回は、ちょっと散漫な印象になっちゃったなあ…。ただし、日本のヒップホップはホント分厚くなりましたよ。ムカシは探すのが難しかったくらいなのに。
●最初に言っとくと、またムダに長い文章です。誰も読まない、読めないと思う…。
●先日、新しく通うことになった赤坂の病院で二回目の診察に行きました。別にそれ自体で言うこともないんだけど。で、その診察の後、赤坂の街をフラリと散歩してみたのよね。そしたら、一気にムカシのコトをアレコレ思い出しちゃった。今日はそんなコトについて、モノを書こうと思うのです。
●体力が衰弱して長時間歩くことが苦手になったため、以前はフツウに遊び歩いていた街からボクはスゴく遠ざかってしまった。だから、赤坂の街を歩くのも実はスゴく久しぶりだ。赤坂サカスを肉眼で見るのも初めてで、ビョウキ以前とは一変した風景を見るのはとても新鮮だった。
●そんで、思い出深い店を見つけた。おおー懐かしい!この店がこの場所に移転して以来初めてだ。

●「赤坂ラーメン」
●東京都港区赤坂3丁目13−5鈴木屋ビル。赤坂サカスを背にして、山王下交差点方面に歩く。そんで最初の四つ角を左に曲がるとスグあります。
●昨今のラーメンブームにおいては、どういう位置づけなんだろう?店内には有名人のサイン色紙がイッパイで、名店っぽい気分を出してるけど、コキタナい内装は移転しても変わってないし、胃もたれ寸前のドロドロスープも昔のままだ。……しかし、世間の評価と関係なく、この店はボクにとって思い出の味なのである。強烈に濃いスープを汗かきながらすすり上げると、一気にムカシの記憶が蘇った。
●この店のラーメンを初めて食べたのは15年以上前のコトだ。ボクはまだ二十歳そこそこの大学生で、このエリアの近所にあるレコード会社でバイトのようなコトをしてた。夕方にオフィスへ行って、終電近い時間までアレコレ作業をしたもんだ。そこのセンパイにこのラーメンをおごってもらったのがとても強い印象としてボクの記憶に残っている。
●当時の「赤坂ラーメン」はワゴン車一台を道端に停めて営業する、純然たる屋台ラーメン。寒い時期には、野外に晒された大きな寸胴からグラグラ湯気が立ちのぼってるのが印象的だった。正直、ボクは屋台ラーメンってのがその時生まれて初めての経験だったので、ちょっぴり感動した。立ち食い、しかもテーブルもない場所で、重いどんぶりを左手でしっかり掴み、熱々の(そして脂でドロドロの)ラーメンをすするってのは、なんかワイルドな感じで楽しかった。ボクがそのラーメンをよく食べるようになったのは言うまでもない。
●「赤坂ラーメン」がワゴン車を停めてたバショは、あの悪名高い火災事故(33人死亡)で有名になった「ホテルニュージャパン」の焼け跡の前だった。
●火災事故自体は1982年。ボクは小学生で当時のニュースはほとんど覚えてない。しかしこの建物は、廃屋になったまま10年以上も放っとかれていて、ボクが「赤坂ラーメン」を人生で一番活発に食ってた1993〜1995年あたりまで、その不気味な姿をさらし続けてたのだ。ちなみに「ホテルニュージャパン火災」は日本消防史においても深刻なディープインパクトだったのか、去年ボクが受講した「防災・防火管理者資格講習」でもかなりアツく説明されてた。へーひどい火災だねー詳しいことは初めて知ったー。……今はその跡地にプルーデンシャルタワーというとてもキレイな建物がたってる。あの焼け跡は誰も不気味がって買い手がつかず、そんなの気にしない外資の保険会社がやっと再開発したって成り行きだという。
●そう思うと、この赤坂界隈は、この15年でスゴく変貌している。プルーデンシャルタワーも立派だが、山王パークタワーという立派な高層ビルも建ってる。山王パークタワーの裏手の東急ホテルは、「来日ビートルズを泊めた部屋」としての歴史を惜しまれながら、現在抜本的改築中だ。そんなビルの合間にある日枝神社は、本殿こそ変わってないような気がするが、正面の大階段は立派になってエスカレーターがついた。そもそも地下鉄「溜池山王」駅がかつては存在しなかったし、南北線も存在しなかった。首相官邸ですらこの10年の間にピカピカに建て替えられた。そんで赤坂サカス。赤坂ブリッツが出来ただけで十分垢抜けた感じがしたんだけどな。レコード屋は元々赤坂にはあまりなかったような……10年以上前には、赤坂見附の駅ビル・ベルビー赤坂の中に「WAVE」があった気がする。今はもうないだろ。
●「赤坂ラーメン」はその後屋台を卒業し、外堀通り沿いに店舗を構えて商売繁盛しておりました。社会人になっても夜中にこの店にラーメンを食いにきてた。しかしココからさらに現在の場所に移転した後、ボクは店を見失ってしまった。今回の発見は数年ぶりの再会なのだ。ジーン。感動。……あ、でもココのラーメン、イロイロな種類あるけど、基本一番安いフツウのラーメンしか食ったコトないや。スペアリブラーメンとか1300円くらいするじゃん。そんなの15年の中で一度も注文したことがない。ボクはあんまイイ客じゃないな。
●ここから、なぜか、日本のヒップホップ史の話題にワープします。
●赤坂にその屍を10年以上も晒していたホテルニュージャパン。ボクも素朴に不気味だと思ってました。あのホテルのオーナーは横井英樹という人物。日本戦後史をダークなフォースで彩った実業家です。で、音楽好きの人なら知ってるでしょ、横井英樹氏の孫が、今の日本ヒップホップ界に君臨しているってコト。本名、横井英之。ステージネーム、ZEEBRA。
●この人は年齢でボクの2つ年上。人種としては全然違うタイプだけど、ほぼ同世代だからか強い親近感を感じる。しかもカレが本格的なキャリアをスタートさせたのが、ちょうどボクが赤坂/ホテルニュージャパン跡地の前でラーメンを食ってた時期にカブってる。具体的にいうと1995年。バブル経済崩壊が本格化した時期。ボク個人にとっても非常に根性を試された重要な年でした。
●今日は、そんな人物の自伝を読みながら、1995年に始まる日本のヒップホップの歴史を考えてみようと思うのです。

●「ZEEBRA 自伝 HIP HOP LOVE」
●1995年は、日本のヒップホップ史の中で実に重要な時期なのです。ボクの中ではもう絶対そうなのです。1994年にリリースされた EASTEND × YURI「DA.YO.NE」がこの年に空前のヒットを記録、年末の紅白歌合戦に出場しちゃう。スチャダラパーが最高傑作「5TH WHEEL 2 THE COACH」を発表。つまり、いわゆる「おもろラップ」/「チェケラッチョカルチャー」が一般市場までに浸透しきった瞬間なのです。(この辺の雰囲気をコチラの記事で考えてみました。そんで、その前史として、ニューウェーヴからヒップホップへの流れもちょっぴり考えてみました。ソレはコチラの記事。)
●その反動で、リアルなストリート感覚に立ち戻ったヒップホップの新しい試みがこの年から同時多発的に発生します。1995年に、ZEEBRA が所属するユニット キングギドラ、そして MICROPHONE PAGER がアルバムをドロップ。RHYMESTER も頭角を現す。翌1996年には、BUDDHA BRAND、SHAKKAZOMBIE がメジャーデビュー。ECD 主催による伝説的イベント「さんぴんCAMP」が日比谷野音で開催される。時代はガラリと入れ替わるのです。
●この時代のドキュメントを当事者本人がこの本の中でたっぷり語ってる。実に興味深いわけですよ。「オレは東京生まれ、ヒップホップ育ち、ワルそうなヤツらは、だいたいトモダチ」ある意味新世代のヒップホップを端的に言い尽くしてしまった名リリック。このリリックで新世代の出現を声高らかに宣言した ZEEBRA。彼はこの本の冒頭でこういう。「オレはミュージシャンじゃない。オレはヒップホッパーだ。」コレは、より純度の高い本物のヒップホップを日本のシーンに確立させようとした、志士の宣言なのだ。
●少年 ZEEBRA。その生い立ち。
●ホテルニュージャパンの横井英樹氏のコト、まず片づけておきましょ。この事故を少年 ZEEBRA はどう受け止めたか? 火災事故当時、小学4年生だった彼は「うちのじいさん、問題のある人だったんだな」と初めて感じる。
●慶応幼稚舎に通ってた彼は、事件をキッカケに色眼鏡で見られるようになり、ココはジブンのアウェーだと思い知る。ハイソサエティな周囲と違って、自分は下品な成り上り者でしかない。そう思い知る。それが、イイ意味でもワルい意味でもパワフルだった祖父へのリスペクトと、異端児としての遺伝子を彼に自覚させ、反骨の ヒップホッパー ZEEBRA の基礎を作ったような気がする。アメリカでもヒップホップの人って映画「ゴッドファーザー」や「スカーフェイス」が好きじゃないですか?彼には生きたゴッドファーザーが目の前にいたというか。
●中学生の頃から、六本木や渋谷の繁華街で仲間とフラフラしてた ZEEBRA。その後のヒップホップ人脈もこのストリートでの出会いがポイントになってるみたい。当然ガッコウはドロップアウト。………オモロい話はタップリあるけど、それはこの本を買って読んで下さい。さて、とにかく、音楽を聴きましょう。
●ZEEBRA のキャリア、最初の一歩。キングギドラ。
●キングギドラ「空からの力」1995年
●まずジブ兄のキャリアを理解するには、キングギドラを聴いとかないとね。キングギドラ は ZEEBRA、K-DUB SHINE の2MCと、DJ OASIS の1DJで構成された三頭体制の怪物ユニット。以前から顔なじみだった ZEEBRA に K-DUB が声をかけ、OASIS が合流するカタチで結成した。1995年にアルバムをドロップ、シーンに飛来し、日本語ヒップホップのハードコア化に大きく影響を与える。三人揃った面構えが明らかにコワいし。
●トラックは、GANGSTARR を連想させるような、ジャズサンプル系の NY ヒップホップの雰囲気。制作は ZEEBRA と DJ OASIS が半分づつ担当。ホームステイ経験がある ZEEBRA はアメリカのホットなシーンを正確に掴んでました。つまり、イルでチルでハード。実際その後、GANGSTARR の DJ PREMIER に ZEEBRA はトラック提供してもらうことになる。
●DJ OASIS についてヒトコト。慶応幼稚舎時代からの幼なじみ。本名のイサオがオアシスの由来(ローマ字にして逆さから読もう)。ZEEBRA とは小4くらいからツルミはじめ、元来メタルキッズだったが ZEEBRA の影響でヒップホップ化。彼のDJの技術がたちまち上達してしまったのが、ZEEBRA がDJからMCに転向する動機の一つになった。1988年、二人で最初に結成したユニットが「POSITIVE VIBES」。当時は完全英語ラップ。ニュースクールの影響やレゲエカルチャーからの刺激もあって、DOWN TO EARTH なスタイルだったという。
●そして、K-DUB SHINE。キングギドラのリーダー&MC。ZEEBRA に日本語でラップする意味と魅力を最初に説いた男。渋谷区松濤出身で、当時の渋谷界隈の顔役として君臨。ZEEBRA から見ても年長で、キングギドラのコンセプトも彼の硬派なスタンスを軸にデザインされてる。ラップのスタイルは、今の耳ではフラットに聴こえる(彼のラップと比べると ZEEBRA のフロウがいかにファンキーか分かります)けど、政治的/社会的テーマに躊躇なく直球で踏み込むメッセージは今でも鮮烈。素朴に芸能界に憧れてた女の子が、悪い大人に騙されて徹底的に破滅する物語をラップで綴る「スタア誕生」の、映像的な描写力にショック。
●キングギドラはこのアルバムリリースだけで、スグに各々ソロ活動へ突入。2002年に再結成するも、「UNSTOPPABLE」(←ホモ野郎と連呼)「F.F.B.」(←ビッチと連呼)と復活シングルがことごとくリリックの過激さで物議をかもす。一方シングル「911」では同時多発テロを直球で扱う等社会派な側面も持つ。映画「狂気の桜」ではサントラも担当。リーダー K-DUB SHINE のコンセプトからか、頑なまでの硬派路線に男気が迸る。
●K-DUB SHINE のソロワークにもちょいと触れます。2001年のアルバム「SAVE THE CHILDREN」では幼児虐待について激しく言及。有名なフックライン「もし殴られてそうな子供がいたら すぐオレに言え もし近所にあやしい家庭をみたら すぐオレに言え」を堂々披露。つーか K-DUB さんに声かける方が数倍コワいんですけど。映画「デトロイトメタルシティー」では、劇中に登場するハードコアラッパー MC鬼刃の楽曲「フロム NY シティ」を DJ OASIS と制作する、なんて仕事もしてます。
K DUB SHINE「SAVE THE CHILDREN」2001年●ZEEBRA のソロワーク。
●ZEEBRA(以下、敬意を込めてジブ兄)には、1998年のソロ始動以来、現在まで5枚のソロアルバムがあります。ゼンブは持ってないんだよね…。ボクのCD棚にある範囲でカレのソロキャリアをなぞってみます。で、コレは日本のハードコア・ヒップホップの歩みをなぞることだと思うのです。

●ファーストアルバム「THE RHYME ANIMAL」1998年
●ソロ始動にあたって、ジブ兄はジブンのクルーを組織&強化。その名も UBG クルー。トラックメイカー INOVADER、DJ KEN-BO、ラッパー T.A.K. THE RHYMEHEAD、UZI、AKEEM DA MANAGOO。都会の野蛮人、アーバリアン。このチームをコアにしてジブ兄はシーンに殴り込みを仕掛けた。この日本に本格派のヒップホップシーンを育てる、自分たちの手で!そんな野心がムンムンにコモッテル。
●キングギドラは、K-DUB SHINE の志向を強く反映して、ハードで硬派なイメージと攻撃的なメッセージが特徴だった。しかし、ジブ兄本人の持ち味はもっと多様。ハードで攻撃的なアプローチも強力な武器ではあるが、ディスコティークなパーティラップもこよなく愛す。レイドバックした感じも悪くない。結果として、ジブ兄のソロはバラエティの幅が広がった。トラックの作りはもっとグラマラスになり、強いキックと太いベースが耳に強い印象を残す。フロウもガナリ系と見せかけてリズムの乗り方は実にファンキー。
●このアルバムでボクが楽しんでるのはドライブするノリノリチューン。「PARTEECHECKA」はサビのフックラインが EARTH WIND & FIRE「BRAZILLAN RHYME」をなぞっててメチャキャッチー。「I'M STILL NO.1」のシンセベース、「未来への鍵」の生弾きベースもセクシー。
●そんで、90年前後の渋谷、「チーム」カルチャーへの追憶もチラッと見えるのも一興。「永遠の記憶」は、このアルバムリリース時期から見ても大過去に見えた「渋カジ」スタイルとストリートの気分が漂ってる。同じ東京でも西の端の多摩地区に生息してたボクは、当時の渋谷のリアルと接点なんてナイんだけど、「渋カジ」と言われて思い出す淡い思い出は、同世代として感じ入るモンがある。

●セカンドアルバム「BASED ON A TRUE STORY」2000年
●しかし、やっぱり彼の真価は本当に発揮されるのは、ハードなストリートライフを描く曲。井上三太のマンガにしか出て来ないような「シヴヤ」路上発のハスラーっぷりをドヤ声で描写するスタイルは1995年世代の典型であり最高点でもある。ジブ兄自身の手掛けるトラックもハード過ぎるほどだし。どす黒いトラックに乗る「CHILDREN'S STORY」は、17歳にしてドラッグディーラーになりそしてあっという間に破滅する少年の物語。映像的な情景描写ラップに唸る。スチャダラパーは絶対やらないアプローチ。ジブ兄自身も言ってる。このアルバムは「バッド・ボーイ・ストーリー」だと。
●ジブ兄周辺のタフガイたちも数々登場。直弟子 UZI、ヨコハマレペゼン MACCHO、ラッパ我リヤの侍MC Q、忍者 KM-MARKIT、KING OF DIGGIN' MURO。

●サードアルバム「TOKYO'S FINEST」 2003年
●セカンドで東京のハードな側面を切り取ったジブ兄。コチラでは東京のキラキラした魅力を描いてみせようとしたという。音楽的なコンセプトでは、ヒップホップとR&Bとポップスとの融合。R&Bクリエイター今井了介とプロデューサーユニット FIRSTKLAS を結成。その後 ZEEBRA のライブDJ を務める KEN-BO が合流する。このチームワークから繰り出される艶っぽいトラックは、女性シンガーも豪華にフィーチャーして(MIHO BROWN、TYLER、AI、そして安室奈美恵まで!)かなり楽しい。他にもヨコハマダンスホール MIGHTY CLOWN とタッグを組む「BURNITUP」FEAT. FIRE BALL に、BUDDHA BRAND の DJ MASTERKEY が制作したビートがドカドカ突き抜ける「GOLDEN MIC」FEAT. KASHI DA HONDSOME、AI、童子-T、般若 も聴き所。
●ちなみに「PERFECT QUEEN」のヴィデオには、ジブ兄の今のワイフが出演してるらしい。レイドバックした感じがチカーノラップ経由オールディーズ風味の佳曲。ROGER ZAPP ネタ使いのトークボックスがボクのツボにハマります。

●4THアルバム「THE NEW BEGINNING」2006年
●少し間をおいてリリースされたこのアルバムは、全方位攻撃型。再結成キングギドラで硬派路線、FIRSTKLAS で軟派路線を突き詰めたジブ兄。ソコを受けての本作の戦略は、軸足を真ん中においてコア層からメジャー層まで取り込む狙い。ある意味では原点回帰でもある。ニュービギニング。
●INTRO を経てドーンと登場するダイナミックなオープニングチューン「STREET DREAM」は、1995年状況〜「さんピンCAMP」から10年の歩みを振り返り、そして前に突き進む決意表明が逞しい。「あきらめたヤツらの分まで走るぜ」。ちなみにトラックメイカーは、SOUL SCREAM の DJ CELORY。
●そんな1995年状況の同世代アクトが、コア面を鉄壁のナイスアシスト。MICROPHONE PAGER から TWIGY、BUDDHA BRAND から DEV LARGE、RHYMESTER から MUMMY-D、ラッパ我リヤ から Q。盟友集結。ロッキンなトラックでジブ兄、Q、AKTION A.K.A. 真木蔵人が三本マイクで暴れるハードナンバー「WILDIN' PART II」がタフでたまんない。
●メジャー部分では、海外プロデューサーとのコラボが注目。SWIZZ BEATZ と SCOTT STORCH がそれぞれ1曲づつトラック提供。「LET'S GET IT STARTED」で SWIZZ BEATZ が繰り出すはホンマモンのクランクビート(と、カレの必殺技、指一本で演奏できるシンセリフ)、オマケに SWIZZ 自身もマイクを握る。SCOTT STORCH は重心の低いハードなトラックを提供。ベースの重低音にハードなラップが絡む。

●5THアルバム「WORLD OF MUSIC」2007年
●残念ながら、コイツは持ってない…。ジブ兄いわく、「次の次の世代とやっていった」。実弟である SPHERE OF INFLUENCE を始め、若手世代とのコラボを狙ったとのこと。

●「THE ANTHOLOGY」1995〜2008年
●ジブ兄のキャリアをガサッと束ねたベストアルバム3枚組。5枚のソロアルバムだけじゃなく、キングギドラや関連人脈の重要客演まで網羅する内容で、分厚いブックレットも日本のヒップホップ史を眺める上で重要な史料になります。ジブラだけにジャケもシマシマだし。
●注目曲は、事務所メイトの真木蔵人 A.K.A. AKTION と二本マイクで暴れる「NEVA ENUFF」がスゴい。AKTION のドスの利いたラップが思った以上にオモシロい!また、ジブ兄のソロ最初期の音源として貴重と思ったのが「INNER CITY GROOVE」。名義は T.O.P. RANKAZ。ジブ兄が主宰するクルー UBG のメンツ(ジブ兄、UZI、RHHHYME、KEN-BO、INOVADER)で作られたユニット。太いベースとシンプルなスネアだけで作ったような薄いトラックが実にクールに響く。
●1995年状況を眺める意味で言うと「JACKIN' 4 BEATS」という曲が重要。1995年世代のアーティストたちが競うように繰り出した数々の名曲を次々にサンプルしていく。リリックもその楽曲からインスパイアされたモノ。サンプルされた楽曲群を列挙するだけで、90年代後半の重要曲をゼンブ俯瞰出来る。さあ、列挙しときます。チェックしてください。必修です。
・「病む街」by MICROPHONE PAGER
・「大怪我」by 大神(BUDDHA BRAND & SHAKKAZOMBIE)
・「B-BOYイズム」by RHYMESTER
・「人間発電所」by BUDDHA BRAND
・「証言」by LAMP EYE
・「DO THE GARIYA THING」by ラッパ我リヤ
・「拍手喝采」by DABO(FROM NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)
・「FUKUROU」by YOU THE ROCK
・「蜂と蝶」by SOUL SCREAM
・「AREA AREA」by OZROSAURUS
●ジブ兄のコラボレーター。ジブ兄人脈。ほんの一部だけど。

●MR.BEATS A.K.A. DJ CELORY「BEATS LEGEND - JAPANESE HIPHOP NON-STOP MIX」2004年
●この盤に触れる前に、レーベル「FUTURE SHOCK」のことに触れておきたい。ジブ兄がソロ活動を起こすにあたって乗っかった、日本初のメジャー系ヒップホップ専門レーベルだ。こんなレーベルを立ち上げたのはポリスターレコード。90年代渋谷系時代のポリスターは、小山田圭吾の TRATTORIA レーベルを立ち上げるなどエッジーなジェイポップに果敢にトライする会社だった。そんで1998年頃、ヒップホップレーベル「FUTURE SHOCK」を立ち上げる。その後 PONY CANYON にレーベルごと移籍したりもするけど、2005年に消滅するまで数々の傑作がここからリリースされる。日本のヒップホップ史の中では、MAJOR FORCE、FILE RECORDS と並んで重要なレーベルだと思います。でも実際のトコロ、レーベルの出資金はアーティストや事務所の持ち出しだったみたいだけど。
●代表的な所属アーティストは、ZEEBRA、UZI、SOUL SCREAM、OZROSAURUS。コレ以降のシーンで重要な役割を担う重鎮ってコトはもう分かるでしょ。そんで、この盤の主人公 MR.BEATS こと DJ CELORY は SOUL SCREAM のトラックメイカー。もちろん ジブ兄 との仕事も少なくないが、ジブ兄のような強面ギャングスタ/ハスラーとはちょいと一味違う。だってカオがもう草食系だし、名前がセロリだし。
●SOUL SCREAM はヒップホップの芸術性に魅かれた人たちという印象。特に DJ CELORY は純粋に音楽愛、レコード愛、DJ愛がにじみ出てるような人。そんな彼が同時代の日本のアクトに敬意を表し、その音源を繋ぐっていうのは実に興味深い。彼がチョイスしたアクトの名前を列挙します。SOUL SCREAM、ZEEBRA、RHYMESTER、OZROSAURUS、RINO、KAMINARI、DABO、湘南乃風、MURO、UZI、ラッパ我リヤ、餓鬼レンジャー、DJ HASEBE、般若、G.K.MARYAN、TOKONA-X……。まさしく1995年状況。
●ちなみに、SOUL SCREAM の思い出深い名盤を一枚ご紹介。大阪のハードファンクバンド、オーサカモノレールのファイアーな演奏を背負ってパフォーマンスするライブ盤「TOUR 2002 FUTURE IS NOW」は必聴の神音源です。

(SOUL SCREAM WITH OSAKA MONAURAUL「TOUR 2002 FUTURE IS NOW」2002年)

●SUGAR SOUL「SOUL JAM」2002年
●SUGAR SOUL は、日本のヒップホップソウルディーヴァの先駆。ジブ兄とのコラボ曲「今すぐ欲しい」では、「そう 女にも欲しい夜があるって そう どうなっても構わない夜があるの」とドギツイリリックで全国のヒップホップキッズを充血起立させた。両者連名の表裏一体連作シングル「SIVA 1999」&「ZEUS 2000」では完全にジブ兄と五分で渡り合うセッションを展開。ドッチも色褪せないカッコよさがあります。ちなみに、SUGAR SOUL のトラックは DJ HASEBE A.K.A. OLD NICK が手掛けてます。
●このアルバムはそんなキャリアを総括して、トラックをよりオーガニックに改変したベスト。「今すぐ欲しい」もモチロン収録。なんと NIRVANA「SMELLS LIKE TEENS SPIRITS」までをオーガニックソウルとしてカバーしてます。

●SUITE CHIC「WHEN POP HITS THE FAN」2003年
●ここでジブ兄、安室奈美恵とコラボ。プロデュース・チーム FIRSTKLAS 名義でガブリ四つ。この FIRSTKLAS とは、前述した通り、ZEEBRA が R&Bプロデューサー今井了介と結成したユニット。 その後 ZEEBRA のライブDJ を務める KEN-BO が合流する。このチームがジェイポップディーヴァ、安室奈美恵と合体したユニットが SUITE CHIC だ。
●安室奈美恵は2001年で小室哲哉プロデュース体制から完全に離脱、かねてから仕事をしてきたアトランタのプロデューサー DALLAS AUSTIN の影響でドンドンR&Bに接近してた時期。FIRSTKLAS との接触でさらにエッジーな音楽にトライすることになる。結果として彼女は現在のジェイポップシーンで、かなり難易度の高いトラックにトライできる希有なR&Bシンガーになってると思う。
●ZEEBRA のコメントを引用すると「安室ちゃんはオレらが提唱するものを乗りこなせる可能性のあるビッグスターだと思う。…安室ちゃんはジャネット・ジャクソンであり、ジェニファー・ロペスであり、最近だとビヨンセってところじゃないかな。」勝手の違う仕事の仕方に最初は臆病だった安室ちゃんも、ドンドン新しいモノを吸収していったらしい。フリの決まってないステージとか。その後、ジブ兄は安室ちゃんのソロにも客演する。

●DREAMS COME TRUE「24/7」2000年
●ジブ兄、ドリカムともコラボしてます。ジブ兄いわく、シンガー吉田美和は、安室奈美恵に並んでコラボしてみたいと思ってたビッグネーム。ジブ兄はこの曲の「CLUB MIX」に参加。原曲をガサッとヒップホップテイストにアレンジしたトラックに、例のドヤ声でラップを添えてます。レコーディングでもドリカム二人と意気投合、ライブにも二回参加したそうな。ジェイポップを考えるとき、どっかでドリカムとはシッカリ向き合わないとなと思ってます。この時期の代表曲「SONG OF JOY」のリミックスも収録。この曲もボクは大好きで、12インチも買ってしまいました。

●AI「VIVA A.I.」2009年
●ボクが思うに彼女こそ日本最強のフィメールヒップホップシンガー。ラップもこなせるし、R&Bの地力も強い。LA 仕込みの実力派なのに、日本語をしゃべると鹿児島弁ってトコロも好き。ジブ兄とは、現在所属の DEF JAM JAPAN と契約する前からの友人カンケイ。DOUBLE や F.O.H. が仕切っていた三宿のイベントで知り合うもスグ意気投合、AI はジブ兄を「お兄ちゃん」と慕う中になってるという。ジブ兄楽曲では、安室奈美恵、MUMMY-D(RHMESTER)を召喚した「DO WHAT U GOTTA DO」に参加。
●この最新アルバムには、映画の主題歌ヒット「おくりびと」(作曲&編曲/久石譲)の重厚バラードも収録されてるが、やっぱお楽しみはファンキーな骨太R&B。次に紹介する RIZE の JESSE がザクザクエレクトロトラックを用意した「SCREAM」あたりの中盤から、DJ WATARAI や新進ビートメイカー UTA のトラックをタフに乗りこなす AI がカッコイイ。四つ打ちハウス「YOU ARE MY STAR」もキラキラ。コレは彼女の新境地じゃないかな。

●RIZE「ALTERNA」2006年
●ミクスチャーロックバンドRIZE のギター/ボーカル JESSE もジブ兄のコラボレーターの一人。スーパーギタリスト CHAR の実子である JESSE は、「正しい二世のあり方」を模索する男として紹介されてる。ジブ兄は二世タレントとはいえないが、どうしてもゴッドファーザー横井英樹の名前がキャリアにまとわりつく。そんな中で共感出来るのが JESSE のスタンスだという。ジブ兄楽曲「NOT YOUR BOYFRIEND」でロックギターを乱射してます。
●RIZE のメンバーは現在、金子ノブアキ& KENKEN の兄弟リズム隊と JESSE のトリオ編成。金子兄弟は、シンガー金子マリ&ドラマージョニー吉長の子供で、ジョニー吉長は CHAR とともにハードロックトリオ PINK CLOUD を組織した盟友。つまりは2世ミュージシャンが父親世代の盟友関係をそのまま引っ張ってる構造なんだよね。しかし、だからナンだよ?と跳ね返す説得力もある。TENSAIBAKA RECORDS を主宰し、DEF TECH を発掘したのも彼らだし、RAGE AGAINST THE MACHINE バリの本格派ミクスチャーロックを鳴らしてる部分でも素晴らしいと思う。このアルバムでは故・HIDE 氏のヒットシングル「ピンクスパイダー」をカバーしてる。「AMERICAN HERO」のようなファスト&ラウドな英詞ハードコアパンクもスカッと痛快。
●なお、JESSE は ラッパー SORA 3000 という名義で、後述するジブ兄の実弟 SPHERE OF INFLUENCE のアルバムにも参加している。RUN D.M.C. カバー「WALK THIS WAY」のカバーとかしてます。

●SPHERE OF INFLUENCE「ATLANTIS」2003年
●SPHERE OF INFLUENCE は ZEEBRA の実弟で、ラッパー。ジブ兄の父母は早くから離婚して、彼は母子家庭で育った。SPHERE はその後再婚した母が生んだ異父兄弟に当たる。8つ年下で、兄弟が出来た少年 ZEEBRA は大変彼を可愛がったようだ。
●そんな SPHERE、ある日、クラブで YOU THE ROCK★ に「オマエ誰だ?」と聞かれたので、兄の名前を出したら「ラップしてみろ!」と突然フラれた。「オレはラッパーじゃない」と答えると「弟ってだけじゃだめなんだよ〜」と一喝される。この事がキッカケで SPHERE は本格的に業界入り。ソレを知ったジブ兄はマネジャーに「素性を隠す必要はナイが、オレの弟だと宣材に書くようなマネはヤメろ」と指示。独力でシーンに立場を作り、兄とコラボするまでに至る。兄弟合体曲「SHININ' LIKE A DIAMOND」はキラキラの高速ダンスチューンで、新進女子シンガー MAY J. がサビを気持ちよく疾走する。
●ドヤ声ラップの兄と違い、ドチラかと言うと軽量級の声を器用に連射するスタイル。ダイナミックでバウンシーなトラックを乗りこなす。「DIRTY SOUTH」って曲タイトルに、サウス系のスタイルに興味があるのかなと思ったら、フックのラインが「大田 品川 港 DIRTY DIRTY SOUTH 城南!」だって。ジブ兄の曲にも「城南ハスラー」って曲があるけど、トウキョウの南側はサウスサイドなんだと初めて知った。ヨコハマまで行ったらウエッサイなんでしょ?

●DJ YUTAKA IN UNITED NATIONS「SELF DESTRUCTION」2003年
●1982年に渡米して、AFRIKKA BANAATAA 率いる ZULU NATION に参加。日本のヒップホップカルチャーの先駆者にしてDJ/トラックメイカー。15歳のジブ兄は六本木のクラブでスピンする DJ YUTAKA をカリスマ視してそのテクニックをずっと眺めてたらしい。
●このシングルに参加しているラッパーが豪華。ジブ兄、K-DUB SHINE A.K.A. コッタくん、ラッパ我リヤ(山田マン&Q)、RHYMESTER(宇多丸&MUMMY-D)、KOHEI JAPAN。7本マイクがタフなメッセージを発射する。全員が個性的なスタイルを持つMCなのだが、4曲目に収録されてるアカペラトラックを聴くと、ジブ兄のフロウが他のMCに比べて飛び切りユニークだってコトがわかる。小節の一拍目にそのまま乗らず、半拍ズラしてラップする技術は実は結構ワザアリだと思った。「自伝」には氷室京介さんが彼のラップを高く評価しているというエピソードが紹介されてる。「リズムを後ろに乗っかる感じって、日本人でできるのはあいつしか聴いたことがない」ヒムロックからほめられてまんざらじゃないジブ兄。

●RINO LATINA II「TAKI 183 TRACKS」2006年
●このオトコは、1995年に結成されたスーパーユニット KAMINARI-KAZOKU の中心人物。KAMINARI-KAZOKU には MICROPHONE PAGER の TWIGY、赤目のフクロウ YOU THE ROCK★、G.K. MARYAN などが参加。その中でも高速フロウで鳴らしたコイツの存在感は異色だった。KAMINARI-KAZOKU の前身ユニット LAMP EYE のクラシック楽曲「証言」には、ジブ兄や DEV LARGE までもが参加。メロウでドープな愉しみがハードなリリックに彩られてる。ある意味で実に1995年的な音源。
●RINO(途中から RINO LATINA II と改称)は2001年頃からソロ音源をリリースしてきたが、コレは映画「TAKI 183」のサウンドトラックとして制作されたミニアルバム。KAMINARI-KAZOKU の盟友、GAMA 、SHINNOSK8、D.O などを召喚、ストイックなトラックに密度の濃いリリックを詰め込んでる。最後の曲はドボルザークの交響曲9番「新世界より」を大胆に大ネタ使い。

●HI-D「GET BACK IN LOVE / 夢のキオク」2004年
●2003年、DEF JAM JAPAN からデビューした男性R&Bシンガー。その一枚目のシングル「GIRLFRIENDS」にジブ兄が客演。ドコか2ステップっぽい軽妙なトラック(モチ FIRSTKLAS 制作)が小洒落た感じ。どこか繊細で涼しげにメロディを泳ぐ HI-D のボーカルは青い甘さが漂ってる。ココで紹介したシングルは名前から一目瞭然ですが山下達郎のカバー曲。あのネットリ達郎節を乾燥処理したテイストにしてしまったのはシンドイけど、オリジナルトラック「夢のキオク」はヒップホップソウルの基本を押さえた佳作です。

●JINO(KENJI HINO) FEAT. ZEEBRA「GO FOR DA GOLD !!」2004年
●JINO こと日野賢二さんは、ジャズトランぺッター日野皓正の実子でベーシスト。70年代に渡米し、あの JACO PASTORIUS に師事したというアグレッシブなプレイヤー。そんなカレがジブ兄とコラボしたタフなジャズファンクがコレ。あるミュージシャンのバックバンドでバンマスをしてた賢二氏をボクは以前見たことがあるが、実にアクの強い演奏でビックリした。そんな人がジブ兄とコラボしてたってのはこのシングルを激安ワゴンで発見して知ったです。カップリングでは、VANGELIS「CHARIOTS OF FIRE(炎のランナーのテーマ)」を高速ファンクカバーしてます。
●DRAGON ASH との確執。
●DRAGON ASH の降谷健志くんとジブ兄がモメたってハナシは当時からよく言われてたよね…。再結成キングギドラの楽曲「公開処刑」でジブ兄が降谷くんを公然とディスる場面にまで事態は発展。あまりのショックに降谷くんはスランプに陥り曲が書けなくなったなんてハナシまで。まずこの「公開処刑」のリリック読んでみる?ジブ兄自身のヴァースだからね。
「星の数ほどいるワックMC これ聴いてビビって泣くMC
まあせいぜいスキル磨きなめいめい 覚悟決めんのはオメェだ KJ(KJってやっぱ彼?)
他の奴ら?用はねぇ バンド、取り巻き?用はねぇ クセぇ金魚のフン?用はねぇ
おめえの グレートフルデイズも今日まで
この先は通さねぇぜフェイク野郎 このオレが自ら手ぇ下そう
この前のアワードの会場じゃ 生じゃねえしどうしようもないもんな
オレが来んの知ってて来やがって スレ違えばペコペコしやがって
こっちゃシカトだ てめえのフヌケ面 マジどしたらそんなんで許せるか
声パクリ そしてフロウパクリ ステージでの振る舞いも超パクリ
マジ神経疑うぜ まるでモノマネ歌合戦 親子で出にゃつまらんぜ
じゃなきゃオレのファンクラブでも作りゃちったあチャンスやる
U LUV HIP HOP ? だが HIP HOP DON'T LUV U
引っ叩かれて速攻 FUCK U」
(キングギドラ「最終兵器」2002年 「公開処刑」収録アルバム。)
●これキツいでしょ。ジブ兄と DRAGON ASH の本格コラボシングル「GRATEFUL DAYS」1999年だって、もうコレでケチョンケチョンだもん。ナニがどうしてこうなったのか?その真相について、ジブ兄は「自伝」にハッキリと描いている。
●実際のトコロ、「GRATEFUL DAYS」自体のコラボレーションはうまく行ってた。ジブ兄にとっては後輩のように見えてた降谷くん、人なつこい性格も手伝って二人はすぐ仲良くなったという。降谷くんのラップはジブ兄のスタイルをよく勉強した内容で、ジブ兄はジブンのアルバムを教科書のように使ってくれたのだろうと前向きに評価した。ここまではよかった。
●ところが同時発売でもう一枚シングルがあるという。「I LOVE HIP HOP」という曲だ。ココからは「自伝」を引用。
「ぶっちゃけ聴いて「えっ?」ってちょっと思った。「そこまで言っちゃうの?」みたいな。しかもそれが意図されていたのか、偶然だったのか、判断つかないんだけど、オレの曲と共通する部分がかなりあった(未発表リミックス音源が降谷くんに渡っていたらしい)。…なんか盗まれているような気がした。
DRAGON ASH と一緒にやって以降、彼らの何作品目かを聴いていたら、「GRATEFUL DAYS」でのオレのフロウみたいなモノがモロに出て来た。声のカンジまで近くなってきていた。…「SUMMER TRIBE」ていう曲だったかな。コレには驚いた。さすがに何だコリャと思った。まわりからも連絡が来た。「何あれ?そっくりじゃん、モロじゃん」って。…ステージでの立ち振る舞い方まで一緒だった。人を紹介する時の紹介の間、声の張り上げ方、言い方、もう全部が同じ。コレはもう無理だなって思った。
DRAGON ASH がラップを一般的に広めたのは間違いないと思う。でも彼らがやっていることとヒップホップとは違う所がある。「I LOVE HIP HOP」って曲を出しちゃったがゆえに、多くの人たちはあれがヒップホップなんだって、思ってしまっていた。ヒップホップシーンを引っ張る人間としては、その誤解をとかなきゃという思いもあった。…オレが自ら手を下すすかないなと思った。」
●オルタナロックバンドだった DRAGON ASH が表面的にヒップホップを取り上げ、自分のスタイルを盗んだと感じたジブ兄。それがチカラ任せのディスに結びついた。降谷くんにとっては無邪気な憧れと模倣だったのかも知れない。しかし、シーンが未熟だった時代、誤解と偏見を乗り越えてキャリアを起こそうとしてたジブ兄とその一派の危機感はハンパないモノだったのだと思う。
●I TUNE MUSIC STORE では、この時代の DRAGON ASH のシングル、「GRATEFUL DAYS」「I LOVE HIP HOP」「DEEP IMPACT」「SUMMER TRIBE」は配信されてないらしい。この事件の影響か、実際この後の DRAGON ASH の作風は微妙に変化した。ラテンビートを導入する等、ヒップホップとだけの狭いレンジのミクスチャーとは距離を置いている。ソレをジブ兄は評価しているし、自分のステージで「GRATEFUL DAYS」をパフォーマンスすることもあるらしい。

●DRAGON ASH「INDEPENDIENTE」2007年
●多分、DRAGON ASH のモデルチェンジが完成したアルバム。パーカッシヴなリズムトラックと、気持ちよくリズムを刻むギター、哀愁漂うマイナーラインのメロディが、ラテンミクスチャーとして完璧に機能してます。スパニッシュの言い回しが新鮮な「LIBERTAD DE FIESTA」とか、ドラムンベースからの着想も聴こえる「SAMBA 'N' BASS」とかは聴いてて素朴に楽しい。「FEW LIGHTS TILL NIGHT」は一皮剥けた印象を強く残す傑作だと思います。
●ジブ兄と同世代の重要アクト。

●RHYMESTER「MADE IN JAPAN 〜THE BEST OF RHYMESTER〜」1995~2007年
●RHYMESTER は 宇多丸、MUMMY-D の2MC と DJ JIN によるユニット。1993年にアルバムデビュー。その評価が高まるのは キングギドラ をフィーチャーした楽曲「口からでまかせ」から。「キング・オブ・ステージ」と言われるほどの高いライブパフォーマンスが有名。
●MUMMY-D が組むトラックは、スカーンスカーンと抜けのイイスネアが正しくヒップホップのマナーをなぞってて、実に気持ちイイ。日本語を歯切れ良く密度濃く機関銃のように叩き出すラップのスタイルは、ハードコアでありながら耳にスッと入るキャッチーさもある。そんなシッカリしたヒップホップ軸足を保ちつつ、その一方で、ジャンル横断コラボで間口の広い音楽性を発揮する。その典型例がクレイジーケンバンドとのコラボ「肉体関係」。他にも SUPER BUTTER DOG や SCOOBIE DOO みたいなソウルフルなロックバンドとガッツリ組んで見せる。そこがこの RHYMESTER の真骨頂。ちなみに MUMMY-D は SUPER BUTTER DOG のギタリスト 竹内朋康 と、雑食性ユニット マボロシ を結成。実に芸風の幅が広い。このアルバムに収録されてないけど、故・忌野清志郎とのコラボもボクにとっては印象深い。
●一方で、FUNKY GRAMMER UNIT なるクルーを組織。EAST END、RIP SLYME、KICK THE CAN CREW、MELLOW YELLOW などが所属してる。MELLOW YELLOW の MC、KOHEI JAPAN は MUMMY-D の実弟。どっちかっていうと、ZEEBRA の系統とは質の異なる、文系ヒップホップの系譜が目立つかも。RIP SLYME、KICK THE CAN CREW からキャリアを発展させた KREVA などの世代は、ジブ兄とは別の視点で考えてみたくなる、日本のヒップホップの別の潮流だと思う。

●EAST END × YURI「DENIM-ED SOUL」1994年
●GAKU MC と EAST ENDがカマした特大セルアウトヒッツと、その後の彼らについても触れてみたい。実は「DA.YO.NE.」のリリックは、GAKU と MUMMY-D の共作。スタジオクレジットを見ても、ジブ兄を含む当時のジャパニーズ・ヒップホップ関係者全員が信頼していた BAZOOKA STUDIO で収録されてることがわかる。うん、久しぶりに聴いてみたけど、そんなにワルくない。
●この曲に対するジブ兄のコメントを引用。スチャダラパーにも言及してる。ちょっと長いけど、1995年時点のヒップホップ世代交替の気分を反映してる気がするから紹介します。
「スチャダラパーがデビューしたての頃、「太陽にほえろ!」ネタを使っているのを見て「クリエイティヴだな」と思ったことがあった。ある意味、日本にちゃんとヒップホップをトランスフォームしている面もあるなって。多分、デ・ラ・ソウル的な感じの人たちなんだろうなと思った。…だからマッチョなヒップホップがある中で、デ・ラ・ソウルみたいなのがあるというのは多様性という意味でも悪いことではない。…ただそこだけが突出して出ていっちゃうのは違うよねってこと。否定をするつもりはないけれど、比率が変わんないとマズいなという意識はあった。
EAST END に関しては普通にありだなと思っていたし、普通に付き合っていた。GAKU とは前から知り合っていたこともあったし、「DA.YO.NE.」で売れる前に、一緒にフリースタイルをヤッたこともある。…ハードコアなヒップホップを普通にやれるヤツら、その中でもちょっと女の子受けするヤツらだなっていう印象があった。女の子受けするラップをやる=ナンパってことでは全然ない。
だけど、「EAST END × YURI」に関しては、「× YURI」じゃなくても良かったねとは思った。結局「× YURI」の部分のラップがちょっと気持ち悪いなってことだ。それよりも、いわゆる「チェケラッチョ・カルチャー」みたいなのが一気に広がっていることに対して、危機感を感じていた。さすがにこれはマズいんじゃないかって。
でもオレらときにはソコをシカトして、ともかく現場を作っていこうぜって。カッコイイ、ヒップホップをやっていけばいいんじゃないのって思っていた。自分たちのフィールドを強固にすることが重要だった。」

●GAKU MC「世界が明日も続くなら」2009年
●さて、そんな「チェケラッチョ・カルチャー」の渦中にいた GAKU MC は、現在ナニをしてるか? MR. CHILDREN やレミオロメンなどを率いる強力な音楽事務所 烏龍舎 に所属。コチラは社長が辣腕音楽プロデューサー小林武史サン本人ということもあり、妥協しない音楽至上主義で有名でございます。
●ココで今年もソロアルバムをリリースしてます。ただ…この音楽は…ラップかもしれないとは思うけど、ヒップホップではない領域にイッテマスねえ…。藤井隆に提供したシングル「ナンダカンダ」をセルフカバーとかしてますし。ヒップホップの定義がもう曖昧になっちゃった現在のジェイポップの中で、意図して曖昧な空間へ自分を押し出してる感じ。「オレはヒップホッパー」と自称するジブ兄が自分の立ち位置に非常に自覚的なのと正反対。ジャンルや様式から自由になりたいという衝動を感じる。熱烈なサッカーファンである GAKU 本人がそのサッカーの根本原則をタイトルに銘打った「手を出すな!」は、フィーチャリングシンガーに事務所メイト桜井和寿を召喚して、ニギやかな高速サンバビートでラップする曲。コレだけが好きと思えた。
●ホントは、MICROPHONE PAGER についても語りたかったんだけど、今日はココまで。
●……また誰も読まない、望まないモノを、ダラダラ書いてしまった…。サイゴまで読んでしまったという奇特な人は、もっと有益なコトに時間を使った方がイイと、反省すべきだと思いますよ。
2009.11.15
ユニクロのヒートテック。赤坂の新しい病院。ニューヨークシティの音楽。
●むー。寒くなりました。で、ユニクロのヒートテック。
(パッケージが未来派。ヒートテック。)
●ワイフがユニクロで、話題のインナーウェア「ヒートテック」を買って来てくれました。たまたまユニクロ行ったら、1500円のトコロが990円のセール価格。本来の買物を忘れて、お店を一周するような行列に並んで購入したそうです。コレがビックリするほど暖かいんだわ。コレ一枚を下に着てると上着も薄手のモノで十分です。汗も程良く吸収し、保湿抗菌静電気防止効果も搭載。おーこれこそ21世紀の科学技術。パッケージも宇宙食みたいでクールです。
●そん時、ボクは、とある少年のファッションを思い出したのよね。未来を自分の野望にそぐうよう改変するため、ターミネーターみたいに未来社会から高性能ロボット/ブルーのスゲエヤツ「ドラえもん」を送り込んだオトコ、セワシくん。野比のび太の孫(の孫?)という設定だったっけ?カレって、未来人典型のファッションとして薄手のツナギスーツをオールシーズン着てたでしょ。たしか21エモンも。あのファッションは超機能主義であらゆる気候に順応出来る素材で出来てるって触れ込みだったはず。少年時代のボクは、藤子・F・不二雄のマンガを読んでは、21世紀は全員ツナギスーツを着て過ごすようになると信じてたもんね。
●00年代も終わっちまいそうな昨今、ココシャネル革命やピーコック革命に匹敵するような、ツナギスーツ・ファッションへの大変革が起こる気配は微塵もナイ。でも、この素っ気ない肌着であるユニクロ「ヒートテック」をミンナが行列して買い求めるって話を聞くと、コレが巡り巡ってアウターのメインアイテムに昇格し、セワシファッションがマジで今世紀のスタンダードになるんじゃないか、なーんて予感が胸に巻き起こるのです。そんで、F氏の慧眼の鋭さ、未来への幻視能力の素晴らしさに驚嘆するのです。

(セワシくん。未来のファッションリーダー。のび太にソックリだけど、実は裸眼だから。)
●自律神経失調症とのお付き合い(その111)〜「赤坂の病院で初診察」編
●新型インフルの予防接種。
●ぜんそくを持ってるボクは、ニュースで言うトコロの「新型インフルを優先的に接種出来る条件/基礎疾患を持っている人」に当てはまる。だからフツウの人に比べて早く予防接種をしようと頑張ってみた。息子ノマドもぜんそく持ちだし、ワイフも基礎疾患を持ってる。そんな病弱家族を最新鋭病原体で汚染させるわけにはいかないのです。
●とはいいつつも、新型インフルのワクチンは実にレアで、しかもいつ病院にやってくるか全然わからなかった。10月下旬段階で行きつけの呼吸器科に問い合わせると「ワクチン入荷の手続きをしたんだけど、いつどれだけ入荷出来るかはまだわからない、詳細が決まったらホームページですぐお知らせする」とのことだった。そっからは病院のホームページを毎日チェック。11月第一週にやっと「予約受付をデンワで行います」とのインフォが登場。予約受付日は、カイシャに遅刻するのもかまわず、コンサートのチケット予約をとるような気持ちで朝ッパラから連発コール攻撃。結果的にはそんなに手コズルコトなくアポをとることができてホッとしたが、受付の女性曰くなんとワクチンはたったの10人分しか入荷できなかったとのコト。やっぱレアなんだなと実感。来週にも入荷はあるがその数がハッキリするのはホント直前だって。
●やっと予約がとれた時間は、水曜日の午後イチ。サラリーマンにはヤヤコしい時間だがどうしようもない。カイシャを中抜けして病院へ。小さいクリニックの中はかつて見たことがないホドの人口密度で、ボクは座るバショもない。ワクチンは10人だけと聴いてたけど、おバアちゃんや子供は一人でくるわけでもなく、ビックリするほど人が多いのだ。しょうがないから小さな丸イスを出してもらってトイレの前に座ったよ。
●明らかにキャパオーバーの人数に医療事務の女性は完全テンパってて、看護師さんは増援部隊で強化、テキパキ注射を打ってた。お勘定は¥3600也。保険は利かない。そんで接種証明書ってヤツをもらった。区によっちゃ、コレを出すと補助を受けられるトコロもあるらしい。ボクの世田谷区はそういうサービスはないらしいが。
●ちなみに息子ノマドの小児科は、連日インフル患者の子供が大勢やってきて、まるで野戦病院のような勢い。が故にセンセイが心配してくれて、ノマドが生まれた頃からの縁も含めて、ワクチンの手配も予約も早くから進めてくれた。それでも当初の予定から一週間ずれて、やっと昨日接種できたんだけど。
●ワイフの病院はワリと有名な都内の大型総合病院だが、ワクチンの入荷量は500人分。数は多く見えるが、病院の規模がデカいだけに、小児科フロアに入院している子供たちと、通院してる妊婦さんであっという間になくなってしまうはず。他の病気の入院患者も折り込むと、ワイフに回って来るのはいつだか分からない。
●4人家族のうち3人が優先接種できる立場なのに、病院はバラバラで全部まちまちな対応。いっぺんに一つの病院で三人分面倒見てくれるトコロがあればイイが、基本的に接種はかかりつけの病院じゃないと出来ないんだよね…。
●さてさてボクは、新しく通院することになった精神科クリニックに、先日初めて行ってみました。
●今度の病院は、赤坂の高層ビルの中にありました。うはー立派な建物だなー。広いエレベーターホールには、ガードマンさんがイッパイ立ってて、スーツを着たビジネスマンがイッパイいて、小僧のようなボロボロジーパンをはいているボクはとても場違いな気分でイッパイになるのです。たまたまエレベーターに乗り合わせた女性が、リクルートスーツを着こなせない就活学生さん風だったので、同じアウェーな者同士の親近感を感じちゃった。
●赤坂サカスとかを見下ろしちゃうポジションにあるこのクリニック。実は精神科専門ではなく、内科や循環器科まで兼ねてます。季節性インフルエンザの予防接種までしてます。一人のセンセイがオールラウンダーとして様々な分野をカバーしているのです。内装はウッディなトーンを基調にしたオシャレ空間。コジンマリした待合室には大きな薄型液晶テレビがあって、TBS のニュースにチャンネルが合わせてありました。赤坂は TBS の城下町なんだな…。
●さて、診察。
●ココのセンセイは、ボクの会社の産業医のセンセイの知合い。産業医のセンセイの名前を出すと「ああ、彼はボクの大学の後輩なんですよ」。医者の世界で大学の先輩後輩ってのは結構強い結びつきらしい。見た目40歳代後半? 小柄でヤセ型だけど、二重の目だけが不釣り合いに大きい人。ボクの顔とPCの画面をギョロギョロ目玉が往復するのが気になってしょうがない。
●それと、自分の病歴を説明するのがマジ億劫。どっから話せばイイんだよ……。ボク「休職直前は、朝3時半に出勤して、そして終電で帰れるか帰れないかという時間まで働いてました。それを半年以上週5日ズーッと続けました」センセイ「えーっ!そりゃスゴい!そりゃオカシクなりますね」…もうそのフレーズ色んなトコで何回も聞いてきました。あと、2001年にぜんそくを発症しました。911テロの影響で激務に巻き込まれたのがキッカケです(←ある意味マジ)…酒は一滴も飲みませんがγ−GTP はアル中寸前の数値です…なぜか尿酸値も高くて痛風になりそうなのでクスリで抑えてます…胃カメラ飲んだら、米粒大の腫瘍っぽいモンが見つかりました…あとですね…えーと、なんかメンドクサイから今後おいおい話します。電子カルテの入力が全然追いついてないですもんね。
●センセイ「リワークプログラムもされてたそうですね?」あー半年ほど通いましたね。「そこでやったのはパソコンの練習とか?」いや、そういうのはしてないです。リワークって職業訓練っぽいのするんですよね、ボクが通った所は、皆さん障害者認定と生活保護を受けてる人たちばっかりで、カラオケとか料理とかトランプとかしてました。「それは精神科デイケアでは?」そうです。デイケアって呼んでました。「ほー!ソレは結構本格的な……」ボクの通った病院には閉鎖病棟に始まってあらゆるレベルの患者さんがいましたから、皆さん個性的で。「普通いやがる方もいるんですが…貴重な体験をされましたねえ」ええ、実にオモシロかったですよ。有意義な経験でした。この程度のコトをイヤがってる人間はその時点で別のビョウキだよ。
●センセイ「今日は、まず顔合わせってコトで。今後は二週間に一回のペースで来てください。ウチは予約は必要ありません。好きな時間に来てもらえれば。特に夕方が一番空いています」はい、よろしくお願いします。なんか、とりとめもなく始まったお付き合いだが、今後どんなコトになるのかな。そんでボクのビョウキはどこまで行ったら治ったことになるのかな?
●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-557.html
●山崎豊子「不毛地帯」。主人公・壱岐正はニューヨーク現地法人の社長に就任。
●ボクは相変わらず「不毛地帯」の世界に浸っている。ワイフもこの本を読み始めたが全然オモシロく思えないらしい。どこがオモシロいのか?そう聞かれると、ボクは即答できない。うーん、実はオモシロくないかも知れない。どっちかっていうと不愉快かも。同じカイシャの中で足を引っ張り合ったり、金儲けのタメにシノギを削ったり。
●ボクは、もはやこの小説を楽しんでるんじゃなくて、小説の中に登場する連中から目が離せなくなってるだけかも知れない。社内での影響力を保つ為に心臓病を隠して激務に臨む副社長とかについて「オマエ、命と仕事、ドッチが大事なの?」とハラハラしながら読んでる。ビョウキになる以前のボク自身が、一種ヤケクソな特攻精神で仕事にノメり込んでた人間なので、他人事に思えないだけなのかも知れない。…そして、このクソみたいな過労状態に追いつめられてる人間は現代の社会にもイッパイいて、名を残すことなく、適正なギャラも手にすることもなく、ヒッソリ死んでるかも知れない。そんな連想が、ボクをこの小説に釘付けにする。
●第三巻で描かれる時代は1969年あたり。そんでニューヨーク。だからその辺に縁がある音源を今日は聴く。

●SIMON & GARFUNKEL「LIVE 1969」1969年
●あの有名なフォークデュオは、ニューヨークの小学校で出会った幼馴染みなんですよね。二人のウタゴコロはニューヨーク育ち。名作「BRIDGE OVER TROUBLED WATER(明日に架ける橋)」1970年発売に先行した全米ツアーのライブ録音をコンパイル。「BRIDGE OVER TROUBLED WATER」は結果的に世界中でバカ売れするアルバムになったのに、この制作途中で二人は大ゲンカ、一回このデュオは解散してしまう。なんだ、トラブルウォーターを全然乗り越えられなかったじゃないか。
●だけどこのライブ盤は、解散までの彼らの傑作/代表作がテンコモリになっててナイスなベスト盤のようになってる。虚飾を排したコンパクトなバンドセットで、二人の美声を聴くと心が静まる。チルアウト。「SCARBOROUGH FAIR」の繊細なハーモニーや、映画「卒業」で有名になった「MRS. ROBINSON」や「I AM A ROCK」の瑞々しい演奏が気持ちイイ。「59TH STREET BRIDGE SONG (FEELIN' GROOVY)」の飄々ぶりとかもイイ。この当時の未発表新曲「BOXER」や「BRIDGE OVER TROUBLED WATER」もイイ感じに歌ってますよ。

●LOU REED「ECSTASY」2000年
●LOU REED がミュージシャンとしてのキャリアを本格的にスタートさせたのも1969年のコト。言わずと知れた、THE VELVET UNDERGROUND & NICO の始動だ。ANDY WARHOL のプロデュースでね。LOU REED も生粋のニューヨーカー。ニューヨークのことを歌った楽曲も数々ある。この一つ前のアルバムでも「NYC MAN」なんて直球タイトルな曲を歌ってる。
●このアルバムはタイトルが「エクスタシー」というだけあって、マヌケなほどの忘我の境地に至った LOU REED のツラがジャケにバシッと決まってます。イイ歳ブッこいたオヤジが「気持ちエエワ」と悦に入る表情を晒すってのは甚だ微妙だけど、さすが LOU REED、なんか意味不明な説得力があってカッコ悪く見えません。
●さて、この LOU REED って人は、超シンプルなエレキギターのリフだけで異常なほどのドライブ感を弾き出す達人です。THE VELVET UNDERGROUND の頃からこの技は劣化してません。オヤジロックともなると、枯淡の味わいで侘び寂び気分に入りたくなるモノですが、そんで時々 LOU もそういうアルバムを作りますが、コレはジワジワドライブするロックアルバムです。全然特別なことをしないのに、ボーカルなんて呪文をブツブツ唱えてるみたいなのに、なぜこんなにドライブするのか?世界の七不思議です。

●BILLY JOEL「THE STRANGER」1977年
●LOU REED はブルックリン生まれですが、BILLY JOEL はブロンクス生まれ。ニューヨークは詩人の街だな。都市吟遊詩人グルーヴ。
●言わずもがなのテッパンポップス名盤。ミンナが知ってる曲がイッパイ。「MOVIN' OUT」も「JUST THE WAY YOU ARE」も知ってるでしょ。随所に仕掛けてあるポップ装置がニクいね。ピアノもサックスも絶妙に機能してます。ボクは楽しいポップス「SCENE FROM AN ITALIAN RESTAURANT」が好き。ちなみに参謀を務めたプロデューサーは PHIL RAMONE。あ、RAMONES のメンバーじゃないですよ。
●よーく見ると、ジャケで BILLY が見つめているのは日本のおかめの面じゃないか。あー今まで気づかなかった。ニューヨーカーはコスモポリタンだ。

●NEW YORK DOLLS「NEW YORK DOLLS」1973年
●ニューヨークパンクの元祖は、前述 LOU REED率いる THE VELVET UNDERGROUND だってのが定説みたいなモンだけど、ロンドンパンクの大爆発 SEX PISTOLS 結成のキッカケになったのはこのバンドだってのも有名なハナシ。SEX PISTOLS の仕掛人 MALCOM MCLAREN はこのバンドのマネジャーをやって、破天荒なピンチラバンドの着想を得たんだもの。
●ジャケの悪趣味な女装スタイルも、サイアクでサイコウです。場違いなモンを悪びれずに晒す感覚は、マンチェスターのオタク少年だった MORRISSEY にも影響を与えたという話。MORRISSEY は NEW YORK DOLLS のファンジンを作ってたくらいだから。NEW YORK DOLLS がいなかったら、THE SMITHS も生まれなかった。
●でも音楽は、今の感覚でいうパンクとは随分手触りが違う。ホンキートンクピアノがけたたましく鳴り響く、ゴチャゴチャ賑やかなロックなのだ。後に夭折してパンクの天使になってしまう JOHNNY THUNDERS のギターはビリビリイッテるけど、パンクギターじゃありません。むしろ正統派で、ストーンズさえ連想させますわ。プロデューサーが TODD RUNDGREN ってのも関係あるかな?
(パッケージが未来派。ヒートテック。)●ワイフがユニクロで、話題のインナーウェア「ヒートテック」を買って来てくれました。たまたまユニクロ行ったら、1500円のトコロが990円のセール価格。本来の買物を忘れて、お店を一周するような行列に並んで購入したそうです。コレがビックリするほど暖かいんだわ。コレ一枚を下に着てると上着も薄手のモノで十分です。汗も程良く吸収し、保湿抗菌静電気防止効果も搭載。おーこれこそ21世紀の科学技術。パッケージも宇宙食みたいでクールです。
●そん時、ボクは、とある少年のファッションを思い出したのよね。未来を自分の野望にそぐうよう改変するため、ターミネーターみたいに未来社会から高性能ロボット/ブルーのスゲエヤツ「ドラえもん」を送り込んだオトコ、セワシくん。野比のび太の孫(の孫?)という設定だったっけ?カレって、未来人典型のファッションとして薄手のツナギスーツをオールシーズン着てたでしょ。たしか21エモンも。あのファッションは超機能主義であらゆる気候に順応出来る素材で出来てるって触れ込みだったはず。少年時代のボクは、藤子・F・不二雄のマンガを読んでは、21世紀は全員ツナギスーツを着て過ごすようになると信じてたもんね。
●00年代も終わっちまいそうな昨今、ココシャネル革命やピーコック革命に匹敵するような、ツナギスーツ・ファッションへの大変革が起こる気配は微塵もナイ。でも、この素っ気ない肌着であるユニクロ「ヒートテック」をミンナが行列して買い求めるって話を聞くと、コレが巡り巡ってアウターのメインアイテムに昇格し、セワシファッションがマジで今世紀のスタンダードになるんじゃないか、なーんて予感が胸に巻き起こるのです。そんで、F氏の慧眼の鋭さ、未来への幻視能力の素晴らしさに驚嘆するのです。

(セワシくん。未来のファッションリーダー。のび太にソックリだけど、実は裸眼だから。)
●自律神経失調症とのお付き合い(その111)〜「赤坂の病院で初診察」編
●新型インフルの予防接種。
●ぜんそくを持ってるボクは、ニュースで言うトコロの「新型インフルを優先的に接種出来る条件/基礎疾患を持っている人」に当てはまる。だからフツウの人に比べて早く予防接種をしようと頑張ってみた。息子ノマドもぜんそく持ちだし、ワイフも基礎疾患を持ってる。そんな病弱家族を最新鋭病原体で汚染させるわけにはいかないのです。
●とはいいつつも、新型インフルのワクチンは実にレアで、しかもいつ病院にやってくるか全然わからなかった。10月下旬段階で行きつけの呼吸器科に問い合わせると「ワクチン入荷の手続きをしたんだけど、いつどれだけ入荷出来るかはまだわからない、詳細が決まったらホームページですぐお知らせする」とのことだった。そっからは病院のホームページを毎日チェック。11月第一週にやっと「予約受付をデンワで行います」とのインフォが登場。予約受付日は、カイシャに遅刻するのもかまわず、コンサートのチケット予約をとるような気持ちで朝ッパラから連発コール攻撃。結果的にはそんなに手コズルコトなくアポをとることができてホッとしたが、受付の女性曰くなんとワクチンはたったの10人分しか入荷できなかったとのコト。やっぱレアなんだなと実感。来週にも入荷はあるがその数がハッキリするのはホント直前だって。
●やっと予約がとれた時間は、水曜日の午後イチ。サラリーマンにはヤヤコしい時間だがどうしようもない。カイシャを中抜けして病院へ。小さいクリニックの中はかつて見たことがないホドの人口密度で、ボクは座るバショもない。ワクチンは10人だけと聴いてたけど、おバアちゃんや子供は一人でくるわけでもなく、ビックリするほど人が多いのだ。しょうがないから小さな丸イスを出してもらってトイレの前に座ったよ。
●明らかにキャパオーバーの人数に医療事務の女性は完全テンパってて、看護師さんは増援部隊で強化、テキパキ注射を打ってた。お勘定は¥3600也。保険は利かない。そんで接種証明書ってヤツをもらった。区によっちゃ、コレを出すと補助を受けられるトコロもあるらしい。ボクの世田谷区はそういうサービスはないらしいが。
●ちなみに息子ノマドの小児科は、連日インフル患者の子供が大勢やってきて、まるで野戦病院のような勢い。が故にセンセイが心配してくれて、ノマドが生まれた頃からの縁も含めて、ワクチンの手配も予約も早くから進めてくれた。それでも当初の予定から一週間ずれて、やっと昨日接種できたんだけど。
●ワイフの病院はワリと有名な都内の大型総合病院だが、ワクチンの入荷量は500人分。数は多く見えるが、病院の規模がデカいだけに、小児科フロアに入院している子供たちと、通院してる妊婦さんであっという間になくなってしまうはず。他の病気の入院患者も折り込むと、ワイフに回って来るのはいつだか分からない。
●4人家族のうち3人が優先接種できる立場なのに、病院はバラバラで全部まちまちな対応。いっぺんに一つの病院で三人分面倒見てくれるトコロがあればイイが、基本的に接種はかかりつけの病院じゃないと出来ないんだよね…。
●さてさてボクは、新しく通院することになった精神科クリニックに、先日初めて行ってみました。
●今度の病院は、赤坂の高層ビルの中にありました。うはー立派な建物だなー。広いエレベーターホールには、ガードマンさんがイッパイ立ってて、スーツを着たビジネスマンがイッパイいて、小僧のようなボロボロジーパンをはいているボクはとても場違いな気分でイッパイになるのです。たまたまエレベーターに乗り合わせた女性が、リクルートスーツを着こなせない就活学生さん風だったので、同じアウェーな者同士の親近感を感じちゃった。
●赤坂サカスとかを見下ろしちゃうポジションにあるこのクリニック。実は精神科専門ではなく、内科や循環器科まで兼ねてます。季節性インフルエンザの予防接種までしてます。一人のセンセイがオールラウンダーとして様々な分野をカバーしているのです。内装はウッディなトーンを基調にしたオシャレ空間。コジンマリした待合室には大きな薄型液晶テレビがあって、TBS のニュースにチャンネルが合わせてありました。赤坂は TBS の城下町なんだな…。
●さて、診察。
●ココのセンセイは、ボクの会社の産業医のセンセイの知合い。産業医のセンセイの名前を出すと「ああ、彼はボクの大学の後輩なんですよ」。医者の世界で大学の先輩後輩ってのは結構強い結びつきらしい。見た目40歳代後半? 小柄でヤセ型だけど、二重の目だけが不釣り合いに大きい人。ボクの顔とPCの画面をギョロギョロ目玉が往復するのが気になってしょうがない。
●それと、自分の病歴を説明するのがマジ億劫。どっから話せばイイんだよ……。ボク「休職直前は、朝3時半に出勤して、そして終電で帰れるか帰れないかという時間まで働いてました。それを半年以上週5日ズーッと続けました」センセイ「えーっ!そりゃスゴい!そりゃオカシクなりますね」…もうそのフレーズ色んなトコで何回も聞いてきました。あと、2001年にぜんそくを発症しました。911テロの影響で激務に巻き込まれたのがキッカケです(←ある意味マジ)…酒は一滴も飲みませんがγ−GTP はアル中寸前の数値です…なぜか尿酸値も高くて痛風になりそうなのでクスリで抑えてます…胃カメラ飲んだら、米粒大の腫瘍っぽいモンが見つかりました…あとですね…えーと、なんかメンドクサイから今後おいおい話します。電子カルテの入力が全然追いついてないですもんね。
●センセイ「リワークプログラムもされてたそうですね?」あー半年ほど通いましたね。「そこでやったのはパソコンの練習とか?」いや、そういうのはしてないです。リワークって職業訓練っぽいのするんですよね、ボクが通った所は、皆さん障害者認定と生活保護を受けてる人たちばっかりで、カラオケとか料理とかトランプとかしてました。「それは精神科デイケアでは?」そうです。デイケアって呼んでました。「ほー!ソレは結構本格的な……」ボクの通った病院には閉鎖病棟に始まってあらゆるレベルの患者さんがいましたから、皆さん個性的で。「普通いやがる方もいるんですが…貴重な体験をされましたねえ」ええ、実にオモシロかったですよ。有意義な経験でした。この程度のコトをイヤがってる人間はその時点で別のビョウキだよ。
●センセイ「今日は、まず顔合わせってコトで。今後は二週間に一回のペースで来てください。ウチは予約は必要ありません。好きな時間に来てもらえれば。特に夕方が一番空いています」はい、よろしくお願いします。なんか、とりとめもなく始まったお付き合いだが、今後どんなコトになるのかな。そんでボクのビョウキはどこまで行ったら治ったことになるのかな?
●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-557.html
●山崎豊子「不毛地帯」。主人公・壱岐正はニューヨーク現地法人の社長に就任。
●ボクは相変わらず「不毛地帯」の世界に浸っている。ワイフもこの本を読み始めたが全然オモシロく思えないらしい。どこがオモシロいのか?そう聞かれると、ボクは即答できない。うーん、実はオモシロくないかも知れない。どっちかっていうと不愉快かも。同じカイシャの中で足を引っ張り合ったり、金儲けのタメにシノギを削ったり。
●ボクは、もはやこの小説を楽しんでるんじゃなくて、小説の中に登場する連中から目が離せなくなってるだけかも知れない。社内での影響力を保つ為に心臓病を隠して激務に臨む副社長とかについて「オマエ、命と仕事、ドッチが大事なの?」とハラハラしながら読んでる。ビョウキになる以前のボク自身が、一種ヤケクソな特攻精神で仕事にノメり込んでた人間なので、他人事に思えないだけなのかも知れない。…そして、このクソみたいな過労状態に追いつめられてる人間は現代の社会にもイッパイいて、名を残すことなく、適正なギャラも手にすることもなく、ヒッソリ死んでるかも知れない。そんな連想が、ボクをこの小説に釘付けにする。
●第三巻で描かれる時代は1969年あたり。そんでニューヨーク。だからその辺に縁がある音源を今日は聴く。

●SIMON & GARFUNKEL「LIVE 1969」1969年
●あの有名なフォークデュオは、ニューヨークの小学校で出会った幼馴染みなんですよね。二人のウタゴコロはニューヨーク育ち。名作「BRIDGE OVER TROUBLED WATER(明日に架ける橋)」1970年発売に先行した全米ツアーのライブ録音をコンパイル。「BRIDGE OVER TROUBLED WATER」は結果的に世界中でバカ売れするアルバムになったのに、この制作途中で二人は大ゲンカ、一回このデュオは解散してしまう。なんだ、トラブルウォーターを全然乗り越えられなかったじゃないか。
●だけどこのライブ盤は、解散までの彼らの傑作/代表作がテンコモリになっててナイスなベスト盤のようになってる。虚飾を排したコンパクトなバンドセットで、二人の美声を聴くと心が静まる。チルアウト。「SCARBOROUGH FAIR」の繊細なハーモニーや、映画「卒業」で有名になった「MRS. ROBINSON」や「I AM A ROCK」の瑞々しい演奏が気持ちイイ。「59TH STREET BRIDGE SONG (FEELIN' GROOVY)」の飄々ぶりとかもイイ。この当時の未発表新曲「BOXER」や「BRIDGE OVER TROUBLED WATER」もイイ感じに歌ってますよ。

●LOU REED「ECSTASY」2000年
●LOU REED がミュージシャンとしてのキャリアを本格的にスタートさせたのも1969年のコト。言わずと知れた、THE VELVET UNDERGROUND & NICO の始動だ。ANDY WARHOL のプロデュースでね。LOU REED も生粋のニューヨーカー。ニューヨークのことを歌った楽曲も数々ある。この一つ前のアルバムでも「NYC MAN」なんて直球タイトルな曲を歌ってる。
●このアルバムはタイトルが「エクスタシー」というだけあって、マヌケなほどの忘我の境地に至った LOU REED のツラがジャケにバシッと決まってます。イイ歳ブッこいたオヤジが「気持ちエエワ」と悦に入る表情を晒すってのは甚だ微妙だけど、さすが LOU REED、なんか意味不明な説得力があってカッコ悪く見えません。
●さて、この LOU REED って人は、超シンプルなエレキギターのリフだけで異常なほどのドライブ感を弾き出す達人です。THE VELVET UNDERGROUND の頃からこの技は劣化してません。オヤジロックともなると、枯淡の味わいで侘び寂び気分に入りたくなるモノですが、そんで時々 LOU もそういうアルバムを作りますが、コレはジワジワドライブするロックアルバムです。全然特別なことをしないのに、ボーカルなんて呪文をブツブツ唱えてるみたいなのに、なぜこんなにドライブするのか?世界の七不思議です。

●BILLY JOEL「THE STRANGER」1977年
●LOU REED はブルックリン生まれですが、BILLY JOEL はブロンクス生まれ。ニューヨークは詩人の街だな。都市吟遊詩人グルーヴ。
●言わずもがなのテッパンポップス名盤。ミンナが知ってる曲がイッパイ。「MOVIN' OUT」も「JUST THE WAY YOU ARE」も知ってるでしょ。随所に仕掛けてあるポップ装置がニクいね。ピアノもサックスも絶妙に機能してます。ボクは楽しいポップス「SCENE FROM AN ITALIAN RESTAURANT」が好き。ちなみに参謀を務めたプロデューサーは PHIL RAMONE。あ、RAMONES のメンバーじゃないですよ。
●よーく見ると、ジャケで BILLY が見つめているのは日本のおかめの面じゃないか。あー今まで気づかなかった。ニューヨーカーはコスモポリタンだ。

●NEW YORK DOLLS「NEW YORK DOLLS」1973年
●ニューヨークパンクの元祖は、前述 LOU REED率いる THE VELVET UNDERGROUND だってのが定説みたいなモンだけど、ロンドンパンクの大爆発 SEX PISTOLS 結成のキッカケになったのはこのバンドだってのも有名なハナシ。SEX PISTOLS の仕掛人 MALCOM MCLAREN はこのバンドのマネジャーをやって、破天荒なピンチラバンドの着想を得たんだもの。
●ジャケの悪趣味な女装スタイルも、サイアクでサイコウです。場違いなモンを悪びれずに晒す感覚は、マンチェスターのオタク少年だった MORRISSEY にも影響を与えたという話。MORRISSEY は NEW YORK DOLLS のファンジンを作ってたくらいだから。NEW YORK DOLLS がいなかったら、THE SMITHS も生まれなかった。
●でも音楽は、今の感覚でいうパンクとは随分手触りが違う。ホンキートンクピアノがけたたましく鳴り響く、ゴチャゴチャ賑やかなロックなのだ。後に夭折してパンクの天使になってしまう JOHNNY THUNDERS のギターはビリビリイッテるけど、パンクギターじゃありません。むしろ正統派で、ストーンズさえ連想させますわ。プロデューサーが TODD RUNDGREN ってのも関係あるかな?
2009.11.10
「LIAR GAME SEASON 2」から中田ヤスタカサウンドへ。
●ドラマ「LIAR GAME SEASON 2」。

●見ちゃったよ…。ワリと楽しんでしまった。前作は全然見てないから、あのマッシュルーム頭の人がなぜヘンテコリンなのか理由がわからないんだけどね。戸田恵梨香は「デスノート」以来の久しぶり。松田翔太はTBS「ラブシャッフル」以来。菊地凛子は「バベル」。フェロモンモンの吉瀬美智子さんは日テレの深夜「妄想姉妹」だな。つまりは注目のキャストさんが集まりました。
●でさ、ボクはまた音楽に引っかかる。このドラマ、シーズン1も今回も、中田ヤスタカ(CAPSULE)が担当。嘘つきゲームのテンションに応じて、ヤツが弾き出すエレクトロのビリビリ音が耳に突き刺さる。あーなんかこのビリビリ久しぶり。どれどれ、中田サウンドが聴きたくなっちゃったよ。

●PERFUME「△(TRIANGLE)」2009年
●なんか難しいタイトルだな。正確に変換出来ないよ。カンベンしてくださいね。
●00年代を代表するアクトとして、中田ヤスタカのサウンドメイクと、PERFUME の存在はエイエンに語り継がれていくでしょう。00年代を襲った世界同時多発エレクトロ現象の極東部門を担当したその足跡は高く評価されてイイはず。底意地のワルい狂気のエレクトロ根性をギリギリの場面でキュートなポップスにキリモミ急降下&10点満点着地させた豪腕は、もしかして金太郎アメ的に全部同じに聴こえる?という不安も隣り合わせに感じながら、やっぱしカッコよく聴こえるワケです。サビへの展開にオトコノコっぽい逞しさをちょっぴり感じさせるシングル曲「DREAM FIGHTER」から、9分間弱のエレクトロファンク「EDGE (TRIANGLE-MIX)」に繋がる流れは、BOYZ NOIZE とか JUSTICE を聴いてる感覚と同じなんだよね。80年代ダンスポップス(ハイエナジーとか)のクリシェが聴こえる瞬間も、その辺の時代の激安クズ盤を掘って楽しんでるボクには、実に ON な感じだし。
●中盤の、少し前の CAPSULE みたいな女子ポップスはご愛嬌でお付き合いするけど、終盤に向けてエレクトロディスコへ再び帰還、そのままシングル「ワンルーム・ディスコ」に突入、キャッチーでキュートなメロディをキュッと絞め殺すようなビリビリアレンジの甘苦い毒の香りを鼻イッパイに吸い込むと最高に楽しい。中田氏にはこの調子で、ドラマ「LIAR GAME」でもサントラで戸田恵梨香ちゃんを絶望の底にたたき落として欲しい。

●PERFUME「PERFUME FIRST TOUR ''GAME''」2008年
●かつてその昔、矢沢永吉は、マイクスタンドがロックンロールのステージにおいて、凶暴な武器であることを証明した。ブンブン振り回されるスタンドの軌跡が、観衆のハートを撫で斬りしてくのよね。そんで21世紀。PERFUME の三人は、彼女たちの手のひらと比べて不釣り合いにデカイワイヤレスマイクが、ジェダイ・ナイトのライトセーバーだってコトを証明した。振り付けに組み込まれてるもんね、あのマイクを握る角度とかが。で、それがビームサーベルのようにファンのハートを切り裂くのよね。
●そんな妄想がモクモク巻き起こるほどに、三人の勇姿は凛々しく見えるのだ。なぜだろ? サディスティックなエレクトロビートのマリオネットとして、細かく計算された動作をテキパキこなすコトを宿命づけられた自分たちの立場への覚悟が、不条理に挑むシジフォスのように潔く見えるのだろうか。四つ打ちのブットい柱に囲まれたオリの中で、ビートとメロディのポリリズミックな絡み合いにカッチリシンクロするダンスは、彼女たちをボンテージのように縛り付けてて、アドリブや自由なアレンジの余地を100%奪ってるでしょ。そんな逆境の中においてもチカラを失わない、のっちの意思の強い目の鋭さは率直に美しいのですよ。ボクにとっての PERFUME の神話はそういう読み込みから生まれてます。

●鈴木亜美「SUPREME SHOW」2008年
●鈴木亜美のこのアルバムも、中田ヤスタカによる完全プロデュース。コレに関しては、シンガーとプロデューサーのマッチングがいまいち噛み合ってないのかなーと思った。シンガーとしてのエゴがある鈴木亜美は、そのエゴをエフェクターで踏み潰す中田ヤスタカのプロダクションには向かないような…。だから少々中途半端。PERFUME よりもずっとハウシーで、よりボーカルをないがしろにしてます。
●その一方で、鈴木亜美は最近クラブでDJしてるみたい。エイベックスの新機軸イベント「HOUSE NATION」でプレイするんだってさ。トランスDJをのびのび楽しむ酒井法子の映像が事件がらみでワイドショーでコスラレまくった結果、ヨゴレなイメージがついたDJカルチャーの失地回復のために、ワタシが尽力します!と鈴木亜美が発言してるのテレビで見ちゃった。彼女みたいなコにDJカルチャーやクラブカルチャーを語られてしまうコトに一抹の違和感を感じつつ、「コレって90年代型のクラブカルチャーがキッチリ死んだってコトか?」と直感的に思った。かつてのディスコが死んだように。なんてったって、もう2010年がやって来るもんね。ニューディケイドの到来だもん。新しいシーンが来てくんないと退屈じゃないか。
(DJ アミスズキ の勇姿。)●実は、00年代エレクトロをウンザリするほど買ってるんだけど、ココで全然取り上げてない。ニューレイブも、フレンチエレクトロも、NYエレクトロクラッシュも、オーストラリアのエレクトロも。うーん、聴くのが全然追いつかない。悔しいなあ。



